そして友よ、静かに死ね。

これもアクション映画。いや、アクション映画というよりギャング映画。それも、ギャング映画の王道を行くフレンチ・フィルム・ノワール。実話に基づいている。

1960年代初頭のフランス・リヨン、「リヨンの男たち」と呼ばれるギャング集団がいた。銀行や郵便局を襲い金を奪う、ということを生業とする。
そのギャングの一人、エドモン・ヴィダルが書いた書『さくらんぼ、ひとつかみで』を、オリヴィエ・マルシャルが脚色、監督し、深い映像を創り出した。これぞフレンチ・フィルム・ノワールという映画を。
ギャング映画といい、ヤクザ映画といい、義理と人情、そして、友情と裏切りが、その様式美の規範。この映画もそれに則っている。暗く沈んだ色調、時折りのモノクローム。何より、年取ってからの顔貌が素晴らしい。髪の多くは白くなり、深い皺が何本も刻まれた顔。とてもセクシー、惚れ惚れとする男の顔だ。
主人公・通称モモン(エドモン・ヴィダル)は、もうずいぶん前にギャングからは足を洗っている。60も越した。今では、リヨンでカミさんや孫に囲まれて暮らしている。そこに、ガキの頃からの仲間・セルジュが現れる。
ワルの世界から足を洗ったモモンと異なり、セルジュは麻薬取引の世界に足を突っこみ、警察ばかりでなく、裏切った組織からも狙われている。

モモンとセルジュのつき合い、「リヨンの男たち」と呼ばれていたギャング時代からのものではない。

若い頃、いや、ガキの頃からの幼馴染み。
小さな頃から、ロマの出であるモモンを、いつも庇ってくれたのがセルジュなんだ。もちろん、「リヨンの男たち」として銀行や郵便局を襲っていた頃も、強い友情で結ばれた仲間である。

しかし、モモンは今、足を洗い静かな生活を送っている。そこに、組織に追われ、警察に捕まったセルジュが現れる。
カミさんは、こう言うんだ。「もうアンタも若くはない。危ないことには関わらず、静かに暮らそうよ」、と。「もう、十分じゃないか」、と。
しかし、刑務所に送られれば、セルジュは生きてはシャバには出られない。組織の連中に殺される。モモン、セルジュを奪還する。匿う。

男の友情だ。どうだ、この楽しそうな顔。
フレンチ・フィルム・ノワールの真骨頂。

<フランスが独自の”フィルム・ノワール”の美学を完成させたのは、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』においてでした。ジャン・ギャバン演じる初老の・・・・・。日常生活は質素で、折り目正しいのです。・・・・・、・・・・・。また、ここには、男の友情と裏切りというフランス製フィルム・ノワールのもっとも重要な主題が導入されています>。
少し長くなったが、中条省平著『フランス映画史の誘惑』(集英社新書、2003年刊)から引いた。フレンチ・フィルム・ノワールの主題の王道、男の友情と裏切り、と中条省平は言っている。この「そして友よ、・・・・・」、まさに、その王道を行くフレンチ・フィルム・ノワール。
ディープ・パープルの「ブラック・ナイト」や、タイトルは知らないがロマの調べの色濃い曲が流れてくる。それも、よかった。でも、『現金に手を出すな』の主題曲「グリスビーのブルース」が頭の中に響き渡る。
忘れない内に書いておこう。主人公、エドモンド・ヴィダル、通称モモンを演じたのは、ジェラール・ランヴァン。その顔貌、惚れ惚れとする。渋い顔貌。

最後にこれだ。
モモンとガキの頃からの仲間・セルジュ、実は、仲間を裏切っていた。
それを知ったモモン、セルジュに一発だけ弾が入ったピストルを渡す。それが、この映画のタイトル。
この映画、銀座テアトルシネマでの単館上映。京橋まで観に行った。その割には、色々な人がこの映画について記している。最も多いのは、そのタイトル。普通に考えれば、「落とし前をつけろ」ということであろう。私は、”何だこりゃ、つまらない”と思ったが、面白いという人もいる。
フレンチ・フィルム・ノワールの王道を行く、とても面白い映画である。