パリ+リスボン街歩き (72) グルベンキアン美術館(続き×2)。

グルベンキアン、さまざまなジャンルの美術品を蒐めているが、家具や調度品も。

家具や調度品といっても、このような物。
マリー・アントワネットが愛用していた机であるとか・・・

ベルサイユ宮殿で王や王妃が使っていた調度品であるとか、という物。
凄いものであろう。しかし、さほど関心がないので、サラッと通りすぎる。

当然、金器や銀器も数多く。しかし、これもさほど関心がないので、サラッ。

右の彫像は、ジャン・アントワーヌ・ウードン作「ディアナ」。1780年の作、大理石像。
中央部は、紗のカーテンを通した外の庭。その左の小さな写真は、この像がグルベンキアンのパリの屋敷に飾られていた時の様子である。何やら、階段の踊り場のような所に置かれていたようだ。
実は、このウードンの「ディアナ」、エルミタージュ美術館の旧蔵品なんだ。昨日載せたルーベンスの「エレーヌ・フールマンの肖像」もエルミタージュ美術館の旧蔵品である。

ジャン・バプティスト・カルポーの1873年作の大理石の彫像・「フローラ」。
実は、これもエルミタージュ美術館の旧蔵品、だそうだ。
何故に、と誰しもが思う。
どうしてエルミタージュという、ロシア(いや、その当時はソ連であるが)を代表する美術館が所蔵していたものが、リスボンにあるのか、と。
サンクトペテルブルグ(その当時は、革命の立役者の名をとりレーニングラードと言っていたが)のエルミタージュ、ロシア(旧ソ連)の象徴でもある。その所蔵品がグルベンキアンの手に渡っている。
どうしてなんだ。
ニューヨークに端を発する、1929年の世界恐慌があったからなんだ。前出のNHK取材班編の『世界美術館紀行』の第4巻には、こう記されている。
<恐慌のあおりをくった当時のソ連も国家財政が逼迫し、エルミタージュ美術館にある国有の美術品の一部処分を検討していた。グルベンキアンはさっそく専門家を派遣して、作品を調査させるとともに、ソ連政府との交渉に入ったのである。・・・・・、虚々実々のかけひきが展開された。そこは国際的な商人であるグルベンキアンに遺漏はなく、・・・・・>、と。
4回にわたる売買でグルベンキアンが手に入れた美術品は、ルーベンスの他、レンブラントの作品2点を含む絵画9点、上記のウードンやカルポーの彫像、数多くの金器、銀器、ルイ16世の書斎用テーブルその他、ということだったそうだ。
個人が国家から、美術品を合法的に手に入れたんだ。グルベンキアンという一個人が、ソ連という国家から。

グルベンキアン、それらの美術品を自分一人で楽しんでいた。パリの凱旋門とセーヌとの間、セーヌ右岸の16区イエナ通りの大邸宅で。第二次世界大戦でヒトラードイツがパリに迫るまでは。
この写真は、パリのグルベンキアンの邸宅の中のカルポーの「フローラ」。

実は、グルベンキアン美術館の最大の売りは、ここなんだ。ルネ・ラリックの部屋なんだ。
ルネ・ラリック、アール・ヌーヴォーからアール・デコ、大成功をおさめた工芸家、美術家である。グルベンキアンが唯一心を許していた男が、ルネ・ラリックだったそうだ。だから、ルネ・ラリックの作品は多くある。1900年のパリ万博で絶賛された「蜻蛉の精」その他数々の作品が。
しかし、私の中では、アール・ヌーヴォーもアール・デコも、さほどプライオリティーが高い分野じゃない。この写真一枚を撮っただけで、サラッと通りすぎた。

ゆったりしたソファが置いてあるロビーがある。その後ろには窓を通して庭が見える。
庭に彫像が見える。ロダンの「カレーの市民」、6人の中の一人、ジャン・デールの像である。自己犠牲の像である。
自己犠牲を自己完結と捉え、ジャン・デールの像に、カルースト・グルベンキアンの生涯を重ね合わせる。