パリ+リスボン街歩き (70) グルベンキアン美術館。

1978年に死んでいる。30年以上も前になるから、60代以上の人でなければ覚えてはいないだろう。
旧ソ連の政治家に、アナスタース・ミコヤンという男がいた。鼻下にヒゲを蓄えた小柄な男であった。1917年の革命にも参加しているオールド・ボルシェビキである。
ミコヤンの凄いところは、あのスターリンの時代からフルシチョフの時代まで、30有余年に亘り、副首相はじめ国家の要職につき、80余歳までの長寿を全うしたことである。すばしこい、という印象がある。
周知の通り、旧ソ連は多民族国家である。アナスタース・ミコヤン、アルメニア人なんだ。
10年ぐらい前になるだろうか、パリの新市街・デファンスの国際会議場で、シャルル・アズナヴールのコンサートを聴いた。アズナヴールも小柄な男である。黒いシャツに黒いズボンで登場したシャルル・アズナヴール、超満員の聴衆の心を鷲掴みにした。
ところで、シャルル・アズナヴールの本名は、シャアヌール・アズナヴーリアンという。アルメニア系のフランス人である。アルメニア系の人、名前の終わりが”ン”である人が多い。
さて、カルースト・グルベンキアンである。
1869年にイスタンブールで生まれた。ロンドンで高等教育を受け、パリに長く住み、第二次世界大戦を避けリスボンへ移住、1955年、リスボンで死んだ。名前の終わりが”ン”であることからも解るように、アルメニア系の男である。

カルースト・グルベンキアン、この男である。グルベンキアン美術館の前にこの彫像はある。
後ろには何やら猛禽類が。鷲ではなかろう。鷹の仲間であろう。しかし、大型の鷹ではなく、小型の鷹じゃなかろうか。ハヤブサのような。
グルベンキアンも小柄な男、という印象を受けるんだ。小柄であるが、とてもすばしっこい男、と。だから、後ろの鳥も、ハヤブサ、と。


グルベンキアン美術館の入口。
巧まずして趣あり、という佇まい。
しかし、中に入ると驚く。よくぞこれほど集めたものだ、と。一体幾ら金を持ってたんだ、と。実は、幾らなんてものじゃないんだ。そういう単位ではない。グルベンキアンの手元には、いくらでも、と言っていいくらいジャブジャブと金が入っていた。
ロイヤル・ダッチ・シェル、ブリティッシュ・ペトロリアム、スタンダード・オイル、その他中東のオイル利権の5%を常に握っていた、という。グルベンキアンが。ジャブジャブなんてものではない。カルースト・グルベンキアン、美術品を買い漁った。
エジプト、ギリシャ・ローマ、中近東、イスラム美術、キリスト教美術、アジア美術、アメリカ美術、その他、これはと思うものは何でも、という感じ。古代から近代まで。
これでもか、というぐらい。ただ、驚く。

エジプト美術の展示。

小さなものだが、興味深いものが幾つもある。

陶磁器もさまざま展示されている。

青華、染付にしても、良品が並ぶ。

多くのカーペットも。

織物と陶磁器。

あちこちの織物。


このような所があった。多くの印籠が展示されている。
日本のもの。17世紀後半から19世紀初めにかけての江戸時代のもの、との説明がある。
明日もグルベンキアンの美術館を。