パリ+リスボン街歩き (55) ジェロニモス修道院。

実は一昨日、奥多摩へ行った。学生時代の仲間7人。案内人は、奥多摩在住ウン十年、という男・N.Y.。
多摩川の上流の川原沿いを歩き、小さな美術館を3館訪ね、旧青梅街道の青梅宿を歩いた。その後、青梅の居酒屋で打上げの飲み会。

濃密な一日であった。しかし、ハードな一日でもあった。途中、休憩を取り入れながら帰ってきた。疲れた。で、一昨日、昨日の2日間、ブログお休みとした。
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国立古美術館へ行こうと思っていたが、乗り過ごしちゃった。市電の終点・ベレンまで行っちゃった。市電を降りて左の方へ行けば、3日前の発見のモニュメントへ出る。
市電の駅の右へ出れば、いや、すぐ右には、大きな建物があるのだ。

ジェロニモス修道院。ユネスコの世界遺産である。
1502年、マニュエル一世により着工された修道院、最終的には、300年をかけ完成されたそうだ。
ここでも、キーワードは、ヴァスコ・ダ・ガマである。喜望峰を回り、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマである。マニェエル一世、エンリケ航海王子と共に、ヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えてこの修道院の建設に取りかかっている。
何故に。誰しもがそう思う。
思うに、金なんだな、と思い至る。ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路、胡椒はじめ多くの香辛料からあがる富を、ポルトガルへもたらした。計り知れない富をポルトガルに。その大本は、ヴァスコ・ダ・ガマ。
ヴァスコ・ダ・ガマ、単なるインド航路の発見者ではないんだ。ポルトガルにとっては、大功労者なんだ。

ジェロニモス修道院の南門。
1584年、天正少年使節もこの門をくぐり、修道院へ入っていったそうだ。

修道院の中へ入っていく。
大きい。荘厳な感を抱く。先の方に、何か厳かなものがある。

祭壇がある。

近づく。

祭壇画。何を表しているのか、私には分からない。
一大海洋帝国を築いたポルトガルの王・マニュエル一世、現世と神の世を重ね合わせたであろう。

こういう像もあった。
ただ、何処にあったのか、思い出せない。

修道院の教会内には、柩が二つある。
一つは、ヴァスコ・ダ・ガマの柩。そして、あと一つの柩は、ルイス・デ・カモンイスの柩。
ルイス・デ・カモンイス、ポルトガル最大の詩人であるそうだ。16世紀の詩人である。叙事詩『ウズ・ルジアダス』で、ヴァスコ・ダ・ガマや他の航海者を称えている、という。
この写真の柩は、そのカモンイスの柩。

記憶が定かではないが、恐らく、後ろの方を振り返った時のものだろう。こういう感じであった。


その天井、何とも言えず、美しい。