パリ+リスボン街歩き (52) パリからリスボンへ。

7月初め、「パリ+リスボン街歩き」、幕間に入った。
1週間ばかりの幕間にしようか、と思っていた。それが、2か月近く経ってしまった。
法事で関西へ行けば、まっすぐ帰らず、民博や通天閣、また、京都の美術館やお寺、あちこちへ寄ってしまう。その内、オリンピックも始まってしまった。
隠棲、閑居の身とはいえ、毎日、何やかや多少のことはある。が、「オイ、リスボンはどうした」、という声も少しはある。
日常のことごとに触れていては、いつリスボンへたどり着けるやら覚束ない。で、「パリ+リスボン街歩き」、再開する。
4月12日昼過ぎ、電車(RER)でシャルル・ド・ゴール空港へ行った。空港内を歩いていると、こういう看板が目についた。

「アントレプレナーはグレート」、とあり、その下に小さく”ブリテン”と記されている。下の方には、ユニオン・フラッグ、ユニオン・ジャックも見て取れる。
何より、このヒゲ男、ヴァージングループの総帥、リチャード・チャールズ・ブランソンではないか。
シャルル・ド・ゴールの名を冠した所に、サーの称号を持つブランソンの写真。フランス人も大らかに、大人になった。親切にもなった。
3、4年に一度、フランスへは行っているが、行くたびにフランスの人たち親切になってくる。
モロー美術館へ行く時、「ついてらっしゃい」と言ったオバさん。同行のAの腹具合がおかしくなった時、「トイレはあるよ。コインが必要なので、ちょっと待ってて」、と言ってコインを取りに行ってくれたオニイさん。マレ地区のカフェで、”ここはどこかな”と地図を広げていると、「どこへ行くの?」、と声をかけてくれた女性。親切な人が多くなった。
どうしてなんだろう、と考えた。思いついた。恐らく、年年歳歳、私自身が歳をとっているからなんだ、ということを。

リスボン行きのエールフランス、AF1924便、16時05分にパリを経ちリスボンへ。
シャルル・ド・ゴールのチェックインマシーンも、日本語表記が出てくる。とても助かる。それでも、少しもたついていると、係の女性が手助けに来る。35年以上前のパリを知る身としては、驚きである。しかし、こうも言えるのかもしれない。フランス人、年寄りには親切なんだ、とも。

パリからリスボンまでは2時間半ばかり。パリとの時差は1時間。だから、リスボン着は、17時35分となる。
空港を出た後、タクシーでホテルへ。30分もかからなかった。12ユーロばかり。
チェックイン後、暫く休み、9時過ぎ、外へ出る。
地図を見ると、リスボンの中心部はロシオというところらしい。地下鉄でロシオへ行くことにする。ところが、地下鉄のキップが買えない。どうやって買えばいいのか分からない。第一、言葉が解からない。駅員らしき男を探し、キップを買ってもらう。で、ロシオへ行った。
地下鉄のロシオの駅を出ると、こういう光景があった。何か広場らしい。

9時すぎ10時前である。路上のレストランは店じまいをしていた。
ガスであろうか、バーナーから出る炎のみが、勢いよく噴き出していた。

こういうものがあった。
後で知ったが、エレベーターなんだ。サンタ・ジュスタのエレベーター。
坂の街リスボン、エレベーターやケーブルカーが幾つもある。

こういう通りもあった。歩いている人は少ない。



街灯の明かりが照らす路上に、リスボン名物の路面電車が浮びあがる。夜10時過ぎのリスボン。
何者かが寄ってくる。「ハッシシ、マリワナは」、という声をかけてくる。インドやネパールでは、よくある世界。しかし、ヨーロッパでは、久しく聞かなかった世界である。
リスボン、ユーラシア大陸の最も西端の町である。リスボン、確かにヨーロッパの町である。
でもしかし、ヨーロッパの辺境ではある、な。インドやネパールと同じく、ハッシシやマリワナの言葉を聞く上は。