米中。

「オイ、いつまでオリンピックネタやってんだ。もう、終わってから1週間にもなるんだぞ」、と言われるだろうな、ということは解っている。しかし、今日もオリンピック。
金メダルを最も多く取ったのはアメリカ。メダルの総数が一番多いのもアメリカ。
金メダルもメダル総数も、共にアメリカに次ぐのは中国。つまり、アメリカと中国、米中二強の時代に入っている。
スポーツの強弱、国の力に比例する。以前は、米ソであった。それが今は、米中となった。
20年前、ソ連が崩壊した。それ以来、世界はアメリカの一極支配、パクス・アメリカーナとなった。今も、そうである。
しかし、今は、2〜30年後にはそうなるであろうパクス米中、パクス・シニカアメリカーナのとば口に立っている。
米中関係、アメリカと中国との関係が生じたのは、そう古いことではない。アメリカという国自体が若い国なので、それはそうであるが、1839年に勃発した阿片戦争の後である。清が、大英帝国にコテンパンにやられた後。
近年では、1972年のニクソンの電撃訪中。万巻の書で埋もれた毛沢東の書斎で、リチャード・ニクソンと毛沢東、握手を交わした。
しかし、19世紀後半にしろ20世紀にしろ、それはアメリカの時代であった。中国では革命であり、戦争であり、また革命であり、といった時代であった。
<中国はアヘン戦争で軍事的に敗北して以来、自国だけの軍事力で西欧列強に対抗することが不可能であることを自覚した>、横山宏章著『中華思想と現代中国』(2002年、集英社刊)にこうある。
<以上の戦略から、伝統的な「以夷制夷」戦略が誕生した。A国という夷狄を制裁するためにB国という夷狄と提携する、すなわち「夷狄(B国)を以て、同じ夷狄(A国)を制する」のが「以夷制夷」戦略である>、と横山宏章は記す。
<この戦略は自国の軍事的未成熟さを自覚した李鴻章以来、孫文、蒋介石、毛沢東、トウ小平、江沢民まで受け継がれている>、とも2002年刊の書には記されている。しかし、その後の胡錦涛の時代には、それが変質しているように見える。夷をもって夷を制するのではない、自らの力をもって夷狄を制する、というように変化しているように感じざるを得ない。
さらに、この秋からの習近平の時代には、との思いもある。中国の軍事力の伸び、凄まじい。尖閣ばかりじゃない。南シナ海の南沙諸島、西沙諸島、あちこちの国と揉め事を起こしている。
中華思想、華夷秩序、パクス・シニカへの歩みを進めている、と見てもいいだろう。
本来のパクス・シニカ、中国国内に限定されていたという印象があるが、その意味合いは変わった。これからのパクス・シニカ、パクス・ロマーナ、パクス・ブリタニカ、そして、パクス・アメリカーナと同様の意味を持つ。世界規模となる意味を。
アメリカも手を打っている。日韓台に加え、オーストラリアへの米軍の駐留、インドの取り込み、中国包囲網を着々と敷いている。
東夷、西戎、北狄、南蛮、中国を取り囲む東西南北の夷狄、アメリカは東夷なのか南蛮なのか、いずれにしろ、パクス米中、パクス・シニカアメリカーナの時代に近づきつつあるのは事実であろう。
これからのアメリカ人と中国人、どういう付き合いをしていくのか、私には解らない。しかし、彼ら、顔かたちは異なるが、どこか似ている。賑やかなんだ、アメリカ人も中国も。ワイワイ、ガヤガヤ、あちこちで喋っている。
米中両国民とも、元気印であることには変わりはない。
7月初め、京都にいた。竜安寺へ行き、仁和寺へ行き、等持院へ行こうと思っていた。少し歩きかけたが、すぐ止めた。先月始めの京都、とても暑かった。で、等持院へは諦め、バス停から近くの鹿苑寺・金閣へ行った。
竜安寺も仁和寺も著名な寺である。しかし、金閣には叶わない。金閣の著名度、それに倍するどころじゃない。多くの人が訪れていた。
入口を入ってすぐ左、金閣の撮影スポットがある。多くの人、そこで金閣の姿、また、それを背景とした自らの姿をデジカメで撮る。
そこで聞こえてくる言葉は、中国語が圧倒的。次いで英語である。3、4がなくて韓国語。日本語は、まったく聞こえてこない。
日本人はいないのか。そんなことはない、日本人もいるはずだ。しかし、日本語が聞こえてこない。聞こえてくる多くは、中国語。
中国の何組もの若い2人連れ、ピースサインなどをしてデジカメに収まっている。彼ら、大きな声で話をし、屈託がない。
でも、中国人のカップル、皆が皆イケイケドンドンではない。中国人の中にも引っ込み思案な奴もいる。周りの誰かにシャッターを押してもらえばいいのに、それを頼まず、自分たち一人ずつで写真を撮っているヤツもいる。
と、突然、英語を喋っていたアメリカ人と思しき中年の二人連れのオバさん、いきなりしゃしゃり出てきた。

そのアメリカ人と思しきオバさん、「アナタがた何やっるの。カメラ貸しなさい。私が撮ってあげる」、と出しゃばってきた。

デジカメを受け取ったアメリカのオバさん、引っ込み思案な中国の二人連れをパチリとしていた。
アメリカと中国、顔つきは異なるが、どこか似ているところもある。2、30年後には生きてはいない私、如何なる世になるのかはは解らぬが、恐らく、米中が織り成す世の中であることには違いなかろう。