ユニオン・ジャック。

イギリスがあれほどメダルを取るとは思わなかった。金29、銀17、銅19、総計65。金は、米中に次いで多い。よくぞ取ったな、というほど。日本では中継されない種目に得意なものがあるのだろうが、それにしても凄い。
閉会式は、さまざまな色に染まるユニオン・ジャックのアレンジを見ているようなものであった。
イギリスという国、正式にはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国である。グレートブリテンは、イングランド、スコットランド、それにウェールズの3か国から成り立っている。
つまり、私たちはイギリスと呼んでいるが、それは単一国家ではなくて連合王国なのである。
ラグビーにしろサッカーにしろ、ワールドカップにはイギリスというチームは出ていない。イングランドであり、スコットランドであり、ウェールズであり、北アイルランドであり、という国名で参加している。今回のオリンピックでは、主催国ということもあり、サッカーなど渋々イギリス一国として参加したようだが。
連合王国である故、その象徴たる旗も工夫された。イングランドのセント・ジョージ・クロス(白地に赤い十字)、スコットランドのセント・アンドリュー・クロス(青地に白い斜め十字)、それに、アイルランドのセント・パトリック・クロス(白地に赤い斜め十字)、この3つを組み合わせたもの。
まず、こういうことがある。
森護著『ユニオン・ジャック物語 英国旗ができるまで』(中公新書、1992年刊)によれば、
<1603年3月24日、エリザベス一世が嗣子のないまま他界したことから、イングランドは隣国スコットランドのジェイムズ六世をジェイムズ一世として国王に迎え、スコットランドとイングランドは、国はそれぞれ別の独立国でありながら、同一人物を国王に戴くという、いわゆる「同君連合(personal union)」の関係になった>、と。
イングランドのセント・ジョージ・クロスと、スコットランドのセント・アンドリュー・クロスが合わさった。
次いで、
<1801年1月1日、・・・・・、これまでのセント・ジョージ・クロスとセント・アンドリュー・クロスに、「セント・パトリック・クロス」を加えたものにする旨の宣言が出された。いうまでもなく前年にアイルランドとの連合法が成立し、・・・・・>、ともある。イングランドとスコットランドの聖十字に加え、アイルランドの聖十字も合わさった。
ウェールズはどうした、となろう。実は、ウェールズは早くからイングランドの支配下にあり、その旗も十字ではなく、上手いデザインができなかった、ということもあるらしい。
閉会式でのユニオン・ジャック、幾つか抜き出してみよう。

ビッグベン、ロンドン・アイがユニオン・ジャックの上にある。
TO BE OR NOT TO BEも。イギリス、総力戦を仕掛けてきた。

この配色、ユニオン・ジャックらしい。

ロンドンの夜空に浮かぶユニオン・ジャック。

青いユニオン・ジャック。

ユニオン・ジャック、縦横の十字に、二つの斜め十字が組み合わさったものである。

ジョン・レノンの映像が出てきて、イマジンを歌った。
ユニオン・ジャックの交点には、ジョン・レノンの顔が現れ、消えた。

赤く染まるユニオン・ジャック。

派手なペイントを施してはいるが、オースチンのロンドンタクシーが現れた。ユニオン・ジャックのクロスの上を。
5台のオースチンから下り立ったのは、スパイス・ガールズの5人。黒いドレスのヴィクトリア・ベッカムがいた。

ユニオン・ジャック、消え去る前の輝き。

この後、花火が上がり、ユニオン・ジャックも消えていく。