マラソンはアフリカに限るな、やはり。

ロンドン五輪、昨日のマラソン、とても面白かった。
ケニア2人とウガンダの選手との戦い、見応えがあった。勝負もそうだが、彼ら3人の顔貌、これも良かった。
マラソンは、長時間をかけて見る競技。視覚的な要素も重要である。残念ながら、なまっ白い東洋人の顔貌では面白みがない。その点、漆黒のアフリカ人の顔貌は鑑賞に耐える。
ロンドン五輪のマラソンコース、ロンドン見物をしているようでもある。

ザ・マルを出発し、アドミラルティ・アーチをくぐり、

セントポール寺院jの前を走り、金融街・シティーの中を走り、

レーデンホール・マーケットの中を走り抜け、テムズ川沿いを走る。

ビッグベンの下も走り抜ける。
その少し手前からは、テムズを隔てた対岸の大観覧車・ロンドン・アイが、選手たちの目に入るはずである。
それはそれで面白いが、10キロを過ぎたあたりでケニアのキプサングが飛び出した。

これは、17キロあたり。ケニアのキプサング、後続の集団から一人抜き出ている。

キプサングの横顔、とてもいい。

これも、キプサング。
東京オリンピックのアベベ・ビキラを思い出した。アベベ・ビキラはエチオピア人。キプサングはブラックアフリカの人である。同じアフリカではあっても人種が違う。しかし、その雰囲気、感じが似ている。
ローマのアッピア街道を裸足で走り、ローマの覇者となった鉄人・アベベ。続く東京では、この時は靴を履いていたと思うが、前方を凝視しヒタヒタと走るアベベ・ビキラ。東京では、哲人となった。
アベベ・ビキラに限らず、マラソンランナーが哲人となること、アフリカのランナーにこそ相応しい。どうも、そう思える。ケニアのキプサングも、その雰囲気はある。

中間点、ケニアのキプサング、トップで通過。
なお、ここには、キプサングのこと、ウィルソン・キプサング・キプロティッチとなっている。最期のファミリーネームは、キプロティッチでなく、キプロティクと読んでいる方が多いし、実は、競り合っているウガンダの選手の名もキプロティク。アフリカには多い姓なのかな。ややこしいが、ここでは、多くに習ってキプサングと呼ぶ。

中間点での上位選手。
1位、ケニアのキプサング。2位、やはりケニアのアベル・キルイ。3位と4位はエチオピアの選手。5位は南アフリカの選手、6位にウガンダの選手、7位はブラジルの選手。
この時の、中間点で6位であったウガンダの選手・スティーブン・キプロティクが、最後には勝った。しかし、それは、まだ先の話。

ウイルソン・キプサング・キプロティク、つまり、キブサング、独走態勢に入っている。
ゴールまで20キロの地点、つまり、22.195キロの地点である。2位の選手との差は、30秒、3位との差は、1分32秒と表示されている。

ところが、26キロすぎ、ケニアのキプサング、同じケニアのアベル・キルイとウガンダのスティーブン・キプロティクに追いつかれる。

27キロ、ビッグベンの前。
ケニア2人とウガンダ選手の3人、並走する。

27.7キロ。右から左へ、ケニアのキプサング、ウガンダのキプロティク、そして、ケニアのキルイ。

28.6キロ。3人が並走する状態が続く。

3人の顔、顔貌、こうである。
とても見応えがある。
”マラソンはアフリカに限る”由来である。

顔に限らない。
この無駄なものが何もない、しなやかな脚も。
アフリカのマラソンランナーの走り、堪能した。NHKで流れた映像も、随分撮った。ゴールまであとひと波乱あるが、眠くなった。明日にする。