高麗美術館。

1か月近く前になるが、面白い映画が封切られた。高橋伴明の『道ー白磁の人ー』。日本による朝鮮併合の4年後、1914年に朝鮮に渡った浅川巧の物語。
浅川巧、本業は林業技師だが、白磁、青磁、またその他の朝鮮の民芸の発掘、研究者として著名である。しかし、焼き物に興味を持つ人以外、浅川巧のことを知る人は少ないのではないか。
支配者である日本人の立場を越え、朝鮮の地に同化し、朝鮮の文化を掘り起こし、守り、死した後は朝鮮の地に眠る男・浅川巧の物語。その内折りを見て記そう、と思っているが、とてもいい映画である。
だが、とてもいい映画なのではあるが、いかんせん地味。近所のシネコンでも短時日で上映は打ち切られた。当然だな、とも思う。
でも、この映画を観た私、久しぶりで高麗美術館へ行きたいな、と思った。京都の高麗美術館、さほど大きなものではないが、我が国唯一の朝鮮美術の専門美術館である。
で、10日前、大阪で100周年の通天閣を見た翌日、京都に寄ると、まず高麗美術館へ行った。
京都駅前から市バスで堀川通を真っすぐ北へ進み、加茂川と突きあたる所に高麗美術館はある。
高麗美術館、在日朝鮮人の鄭詔文なる人が創った。鄭詔文なる人、飲食業やパチンコ業で財を為した人だ、という。鄭詔文なる人、ある時、京都の骨董屋で朝鮮の磁器に出会う。
朝鮮の文化に目覚める。金達寿などと「日本の中の朝鮮文化」なる雑誌を発行する。朝鮮の文化に関心を持つ、多くの関西の文化人との交流が生まれる。
1988年、鄭詔文、高麗美術館を造る。バックにはこのような人たちがいた。
初代館長の林屋辰三郎、それに、有光教一、上田正昭、といった京大の学者連中、司馬遼太郎や岡部伊都子、その他諸々の関西文化人。
私が初めて訪れたのは、10数年前。小ぶりではあるが、素晴らしい美術館であった。久しぶりの今回も素晴らしかった。

高麗美術館。
門の両側には、大きな石人が立っている。
小さくて見づらいが、中央にある美術館名は、司馬遼太郎の揮毫である、という。

門を入った左側。

石人や石塔がある。その説明。

美術館の館内は撮影禁止であるが、屋外展示の撮影は自由。
で、入って行き、石人を撮る。

これも石人。後ろは、美術館の建物だ。

五重石塔。

これは、小さな石人だ。

このような石人も。

庭の隅を見てみると、このような所も。

庭の中から外を見ると、このよう。

今の名品展は、「高麗青磁の精華 心にしみ入る翡色の輝き」。
<静寂にして優麗、夢幻の如き高麗青磁。ほか朝鮮白磁、書画、諸工芸約80点を展観>、となっている。
青磁にしろ白磁にしろ素晴らしい。バンダジや膳などの木工芸品も素晴らしい。

美術館を出た左側は、こう。

外へ出て、今一度ふり返る。
石人がいる。
石を塗りこんだ土壁が美しい。