パリ+リスボン街歩き  (45) ギュスターヴ・モロー美術館(続き×3)。

ギュスターヴ・モロー、「サロメ・シリーズ」とでもいうべき幾つものサロメを描いている。主に、1872年から76、77年にかけて。
ジュヌヴィエーヴ・ラカンブルは、こう記す。
<・・・・・モローは聖ヨハネの斬首前、その瞬間、それ以後と、場面を変えながら、いわば変奏曲を奏でるようにサロメのテーマを追いつづけた>、と。

「踊るサロメ」。
聖ヨハネの斬首前だ。

そして、この正面の作品、

「出現」である。
聖ヨハネ、ヨカナーンが斬首された後のサロメである。
<詩人や預言者を人類の最重要人物とみなしていたモローは、≪出現≫のさまざまなヴァリアントの中で、聖ヨハネの首が輝くオーラに包まれれいるさまを描き、その思想、その言葉が、むごたらしい肉体の死を越えて生き続けるべきことを示唆しているのである>、とジュヌヴィエーヴ・ラカンブルは記す。

この作品が描かれたのは1876年。
その20年近く後、1893年に、オスカー・ワイルドが”一幕による悲劇”『サロメ』を世に問うた。

<私にヨカナーンの首をくださいまし>、と。

サロメといえば、岩波文庫だ。
半世紀以上も前、1959年刊の福田恒存訳の岩波文庫本には、オーブリー・ビアズリーの手になる挿絵が18点載せられている。
「最高潮」と題する、ビアズリーの巻末の挿絵。
斬首後のヨカナーンとサロメ。

訳者の福田恒存によれば、ビアズレーは、オスカー・ワイルドの『サロメ』のフランス語版が出た後すぐに、この絵を描いたそうだ。
英語版の挿画を依頼されたオスカー・ワイルド、その絵を元に岩波文庫本にある挿画を描いた、という。
サロメといえば、モローよりはビアズレーかな、という思いもあり、岩波文庫の挿画を複写した。

しかし、ギュスターヴ・モローの≪出現≫、その存在感、凄まじいものがある。
この春、光文社の古典新訳文庫に、平野啓一郎訳の『サロメ』が加わった。
平野啓一郎も、初めて読んだ『サロメ』は、福田恒存訳の岩波文庫だったそうだ。古風な文体のことを常に考えていた、という。
で、平野啓一郎訳の『サロメ』、こと細かな解説が多く、とても役立つ書であった。

ラ・ロシュフコー街14番地の国立ギュスターヴ・モロー美術館、ふり返ると、このような旗が出ていた。