パリ+リスボン街歩き  (38) ウディ・アレン(続き)。

主人公は、ギル。ハリウッドの売れっ子脚本家。フィアンセのイネズ及びその両親とパリに来ている。
泊まっているのは、フォーブル・サントノレ通りの”ル・ブリストル”。4つ星プラスの超高級ホテルだ。何しろ、娘のイネズと椅子を見に行った母親が、「これ幾ら? 1万8千ドル、いや、ユーロか。安いわね」、という金銭感覚を持った人たちなんだから。
ギルだって売れっ子の脚本家、相当な稼ぎがある。200万円ほどする椅子ひとつに安いわね、というフィアンセの親もそれは認めている。”あいつは、稼ぎはいい”、と。しかし、親にとってはひとつ心配がある。”稼ぎはいいのだが”、と言った後、頭に手を当てて「、ここがちょっとな」、と言う。ギルの考えていること、まったく理解できないんだ。
何とギル、稼ぎのいい売れっ子脚本家の職をを投げ打って、パリで小説家に転身したい、と思っているのだ。既に、書いてもいる。どうなるのか、ね。

あるホテルでワインの試飲会が開かれる。ギルもフィアンセも、その両親も出る。他の人たちが登場するさまざまなサブストーリーもあるのだが、それらは省く。
その後、ギルはひとり、セーヌ左岸を歩き、教会の階段の前に座りこんでしまう。12時の鐘が鳴る。
と、黄色いプジョーのビンテージカーが現れる。「ヘーイ、乗りなよ」、と声をかけられる。何かの間違いではないのか、と思うが、「おいでよ」、という声につられて、ギルは、黄色いプジョーへ乗りこむ。
着いた所は、何やら賑やかなパーティー会場だ。

「私、スコット・フィッツジェラルド、これは妻のゼルダ」という男が現れる。ンッ、スコットとゼルダのフィッツジェラルド、どうなっているんだこれは、とギルは思う。こんなことあり得るのか、とギルは。当然だよな。
上の写真は、アーネスト・ヘミングウェイ著、福田陸太郎訳の『移動祝祭日』(1964年、三笠書房刊)の口絵から。
なお、この時、ピアノの弾き語りをしている男は、コール・ポーターなんだ。ジョセフィン・ベーカーもいる。パリのアメリカ人だ。
ゼルダ・フィッツジェラルドが、河岸を変えようぜ、といった所には、この男がいた。アーネスト・ヘミングウェイだ。

ヘミングウェイの『移動祝祭日』については、いままでにも記していると思う。
これは、その書の口絵にあるヘミングウェイとカミさんのハドリーの写真。
2010年から、一挙に1920年代のパリのゴールデンエイジへタイムスリップしたギル、ヘミングウェイに自分の小説を読んでくれ、と頼むのだ。
ヘミングウェイは断る。つまらないものを読むのは、不愉快。いいものを読むのは、嫉妬するから不愉快、と。ガートルード・スタインに読んでもらえ、と言う。
ガートルード・スタイン、パリのアメリカ人のゴッド・マザーだ。

この写真も、ヘミングウェイの『移動祝祭日』から。
ガートルード・スタインの居間での様子。

1904年のピカソだ。
ガートルード・スタイン著『パリ フランス 個人的回想』(1977年、みすず書房刊)の口絵から。この時、ピカソ、23歳。

ピカソの描いたガートルード・スタイン。1905年から6年にかけて描かれた。
この絵、ウディ・アレンの映画にもよく登場した。
ゴッドマザー、ガートルード・スタインだ。