水面と原発。

今日の朝日の夕刊に、福田平八郎の「漣(さざなみ)」が載っている。

群青のみで描かれた水面。
昨日、居酒屋で地震と津波と原発のことを話した女流画家が描いているのは、黒い2Bで描かれた海面。海にしろ川にしろ、光を受け風を受け揺れる水面、多くの絵描きを惹きつけるらしい。
ところで、今、昨日書いたものを見ていたら、少しヘンかな、というところがある。
被災地のガレキを自分の所には持ってきてくれるな、という人たちに腹を立てている。これは、そう。そういう話を見聞きする度に、私は、いつも腹を立てている。そういう連中は、原発に反対しろ、とことん、と。
ところが、そうでもない連中が多くいる。被災地のガレキもイヤだが、電気に不自由するのもイヤだ、、という連中。これはおかしい。だから、腹が立つ。
それよりは、野田佳彦の「原発は必要、大飯原発の稼働やむなし」の言、まともじゃないか。ただ、野田佳彦の言うこと、ずるい点がある。原発は万全ではない、ということを言ってはいない。
原発は、万全ではなく事故も起こす。この前提に立つことが必要。その前提に立って初めて、野田佳彦の「稼働やむなし」がまともとなる。放射能がどうこうなんて、言うべきことではない。
日本列島、地震を引き起こす幾つかのプレートの上に乗っている、とも昨日のブログに書いているな。実は、時折り、日本はそういう国なんだから、原発は止めるべきだな、とも考えるんだ。残念なことながら、と。
どこか矛盾しているのじゃないか。何かヘンなのじゃないか。野田佳彦の言うこと的を射ている、と言ったり、地震国だから止めるべきだ、と思ったり、私が昨日書いたこと、どこかヘン。しかし、どちらも、そう思うのだから始末が悪い。
たまたま今日の夕刊で、福田平八郎の水面の絵を見、昨日の海面がらみで昨日のブログを読み直した。と、どこか矛盾するようなことを書いていることに気がついた。はっきり言って、原発のこと、右か左か決められない。難しい。
仮に、日本国民に原発の可否、とことん考えてお前の答えを出せ、と聞く。原発、ある意味ゼロサムだ。右か左だ。曖昧は禁ずる、とする。と、どうなるか。
「脱原発」と答える人、半分に満たないであろう。3〜4割程度じゃなかろうか。
千変万化の水の面と異なり、原発は、右か左か思い切りが必要だ。どちらにするにしろ、覚悟がいる。