パリ+リスボン街歩き  (26) セーヌ左岸。

クリュニー美術館は、セーヌの左岸にある。サン・ミッシェルの近く、カルチェ・ラタンの一角と言ってもいい。その近辺を。
パリ、セーヌの右岸か左岸か、趣きが異なる。どちらが好きか。パリ好きならば、ずるいこととは知りながら、右も左も共に好き、と応えるであろう。それでもどちらかを、と詰め寄られれば、私ならば左岸と応える。さまざまな先人を思って。
多くの先人、皆さん、セーヌ左岸に逗留している人が多いのだ。
著者・永井荷風その人を模したと思われる、名作『ふらんす物語』所載の『放蕩』の主人公は、外交官で稼ぎもある故、どうも右岸に住まいしているようだ。しかし、
快作にして怪作『ねむれ巴里』の著者・金子光晴の宿は、たしかセーヌ左岸。マルセイユから汽車に乗り、先にパリに着いている女房・森三千代の部屋を訪ねる。「入ってもいいか」、と尋ねる。森三千代、前科があるんだ。だから、尋ねる。
それはそれとして、セーヌ左岸。パリの日本人では、忘れることができない松尾邦之助や石黒敬七の住まいも、セーヌ左岸。
パリの案内書は、おそらく数百はあるだろうが、傑出した一つは、40年ぐらい前の書、玉村豊男の『パリ 旅の雑学ノート』である。凡百の書などとても叶わない面白い書であった。その玉村豊男が宿とするのも、セーヌ左岸。
それはそれで面白いが、パリがらみで忘れてはいけない書がある。
山田風太郎の『巴里に雪のふるごとく』である。山田風太郎の『明治波濤歌』収録の、趣き深い中編である。江戸最後の粋人・成島柳北の物語、山田風太郎の筆、面白いの何のって。
成島柳北、東本願寺の新法主につき従ってパリへ行くのだが、<明治5年(1872年)12月22日に、オテル・ド・ロール・ビロンから左岸はリュクサンブール公園近くの安宿オテル・ド・コルネイユに移した>、と記す。
セーヌ左岸を少し歩こう。クリュニーへ行くので、メトロを降りたところから。