自然な死。

Iが、朝早くからメールをくれた。私がそれを読んだのは大分後だが、Iは、松井秀喜のメジャー昇格第一戦をチェックしていたようだ。
首痛の私に、<「救い」となるかもしれない朗報を>、と記し、松井秀喜がいきなり2ランをぶっ放したことを知らせてくれた。
松井秀喜のことは気にかかっていた。心配していた。マイナーで、あのバッティングでは、と。打率も1割台。力が落ちた。残念だが、仕方がないか。マイナーリーグで、高校を出たばかりのような18〜9の連中と一緒に走っているだけでもシャクなのに、と。メジャーへ上がるのは難しかろう、と思っていた。
幾つかの要因はあったのであろう、メジャーへ上がった。いきなり先発で起用され、ホームランを叩きこんだ。9年前、名門ヤンキースへ入った時も、本拠地での第一戦でホームランを打った。満塁弾であった。
松井秀喜は、メジャーの似合う男なんだ。マイナーなんかには、はなから似合わない。ホームランも、メジャーでは打てても、マイナーでは打てないんだ。それが松井秀喜なんだ。
全盛期の力は、もちろんない。しかし、松井秀喜である。並みの選手ではない。松井秀喜が「オレもここまでか」、と納得するまで、メジャーに置いておいてもらいたい。
首痛、今日も近所の医者へ行き、電気と牽引治療を受けた。しかし、それよりも、松井秀喜のホームランの方が、はるかに効果がある良薬であった。
松井ついでに、今日のニュースで流れた人のことを。
新藤兼人が、昨日死んだ、という。100歳。1週間ほど前には、吉田秀和が死んでいる。こちらは98歳。
共に文化勲章を受けているお二人とは較べることもできないが、先週死んだ私の親父の一人は96歳。もう一人の私の親父は、まだ存命で98歳。身体、動かすことは大変で、飯も食いたくない、と話す。老衰だよ、と話す。夜寝て、朝起きない、という死だろう、と話す。頭はクリアなのだ。だから、自然死について話しあった。
老衰による死、自然な死であろう。
昨日死んだ新藤兼人も、老衰による自然死。1週間前に死んだ吉田秀和も、たしか老衰死であった。老衰による死、自然な死、なかなか難しい。皆さん、幸せだ。
なお、お二人に関しては、私は以前触れたことがある。
新藤兼人については、何度も書いた。昨年の秋には、新藤の最後の作品『一枚のハガキ』について、「新藤兼人の思いと、天皇のお心」というタイトルで記している。
吉田秀和については、やはり昨年の2月19日に、「1+1、必ずしも2、ではない」というタイトルで書いている。この日のブログ、今、読み返しても面白い。私の記述が面白いのではない。吉田秀和の書いていることが、とても面白いのだ。言わずもがなではあるが、念のため。
ご用とお急ぎのないお方は、この日のブログをお読みいただきたい。朝日新聞に不定期で書いていた吉田秀和の「音楽展望」のことである。相撲の八百長問題が喧しい頃で、吉田秀和、「音楽展望」で、相撲のことを書いている。吉田秀和のこのコラム、ハイブラウでありながら、森羅万象、音楽以外のことも多く出てきて面白かった。
長生きであったが、一市井人である私の二人の親父(一人は、まだ健在であるが)と、高名なお二人を並べるのはおこがましいが、老衰、自然なる死、人間本来の死、ということを考える。