パリ+リスボン街歩き(9) ルーヴル(続き×3 ナポレオンが・・・)。

東側に方形の中庭を取り囲むシュリー翼があり、その右手、北のリヴォリ通り側にはリシュリュー翼が、左手、南のセーヌ側にはドゥノン翼が長く続く。そのそれぞれに、半地階、1階、2階、3階と部屋がある。

もちろん、階段もあれば、

エスカレーターもある。
ピラミッドの入口を入った所には、館内の見取り図と案内の日本語版がある。もちろん無料。著名な作品はここにありますよ、という案内も出ている。また、館内にはルーヴルの係り員があちこちにいるので、その人たちに聞いても親切に教えてくれる。しかし、それでも解かりづらい。
迷子になってしまう。館内、あまりにも広すぎるんだ。食堂は、リシュリュー翼の1階にある。昼飯を食おうとそこへ行くのも一苦労、ということもあり得る。食堂は、いつも人で混みすぎている。ルーヴル、あとひとつ食堂を作った方がいいだろう。
それはともかく、これだけは、と毎回訪れる所はある。昨日書いたお気に入りの場所もそうだし、リシュリュー翼3階にある15世紀半ばに描かれた「アヴィニョンのピエタ」もその一つ。板に描かれたテンペラ画。ピエタ、嘆きの像。
このようないつも訪れる作品もあるが、広い館内、歩いている内に、おー、これはここにあったのか、と行きあたるものもある。いわば、一期一会といったもの。そのようなものを2、3載せてみよう。
で、今日は、小見出し、「ナポレオンが・・・」とした。
ナポレオン・ボナパルト、1769年に生まれ、1821年に死んだ。51歳。50前後での死、”人間50年”と舞う織田信長もそうだが、後世に残る英雄の重要な要素である。60、70どころか80を越えても生きているようなヤツは、碌なヤツではない。少なくとも、英雄と言われる男ではない。
51で死んだナポレオンは、英雄だ。多くのフランス人、そう思っているに違いない。海峡を挟んだイギリスの攻略はならなかったが、陸続きのヨーロッパ大陸の国々はあらかた攻略した。コルシカ生まれの若者、フランス皇帝にまでなった。
絵描きとして、そのナポレオンと添い寝をした男が、ジャック・ルイ・ダヴィッドである。ナポレオンの台頭と共に存在感を増し、ナポレオンの失脚と共に亡命を強いられる。しかし、絵描きとしては凄い男。

ダヴィッド、多くのナポレオン像を描いているが、これは1797年ないし1798年に描かれたナポレオン。
ダヴィッド、新古典主義の画家と言われる。ギリシャ、ローマ以来の美しいものの形、つまり、デッサンを重視したんだ。つまり、ナポレオン、こういう顔であったに違いない、ということだ。

ダヴィッド、権力への階段を登るナポレオンに取り立てられる。
1800年、レカミエ夫人の姿を描くことを命じられる。レカミエ夫人、ナポレオンの愛人である。それがこの絵。デッサンを重視する新古典派の技、すさまじい。

ナポレオン・ボナパルト、1804年、フランス皇帝となった。
ジャック・ルイ・ダヴィッド、1806年から1807年にかけ、「1804年12月2日のナポレオン1世の戴冠式」を描く。
カンヴァスに油彩、天地621センチ×左右979センチという巨大な作品である。左手前の女性と比較してもらえれば、その巨大さがよく解かる。


この日、ナポレオンは、教皇・ピウス7世をローマからパリに呼びつけている。しかし、教皇の手を借りず、自らの手で王冠を頭に載せた。ナポレオンらしい所業である。
しかし、ダヴィッド、いかに何でもそれは少しやりすぎか、と王冠でなく月桂冠を頭に載せたナポレオンにした。王冠は、王妃・ジョセフィーヌの頭に、ナポレオンの手により被せられる。
この右側にいる、つまり、ナポレオンの後ろにいる右手の指を祝福の形にしているのが、教皇・ピウス7世だそうだ。ナポレオンの絶頂期だ。
皇帝の筆頭画家となっていたダヴィッドにとっても、絶頂期であったろう。ナポレオンと添い寝してるのだから。
だから、その後、ナポレオンが失脚した後は、ダヴィッドも不遇の時代となったようだ。亡命を余儀なくされたりもしている。

新古典主義、ダヴィッドの教えを受け継いだのは、ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルである。
ナポレオンと同じ時代をも生きたアングル、ナポレオンの肖像も描いているが、この作品は、「ヴァルパンソンの浴女」。アングル、1808年の作。

アングル、多くの肖像画も描いている。

19世紀初め、多くの作家が意見を闘わせた論点があった、という。”デッサンと色のどちらを優先させるべきか”、という問題である。美術学校の実力者教授であるアングル、確固たる自信のもとに、「それは、デッサンだ」、と言い切ったそうだ。
上の写真は、そのアングルの「グランド・オダリスク」。1814年の作。
描線、その線が作る面、揺るぎないものが描かれている。

丸いキャンバスに描かれている。ルーヴルでも人気の絵のひとつ。
1862年、アングルの作、「トルコ風呂」。
アングルがこの作品を完成させたのは、82歳の時だったそうだ。1808年の「ヴァルパンソンの浴女」以来半世紀が経っていた。
描いた絵描きにも物語はある。それと共に、後世それを見る者にとっても物語はある。
一期一会、次は何時か、という。