清順の世界(1) ツィゴイネルワイゼン。

スピルバーグもイーストウッドも、ハリウッドの巨匠の映画は、それはそれで大したものだし、何より面白い。『一枚のハガキ』で、昨年の日本映画の賞を総なめにした新藤兼人は、巨匠どころか大の字がつく巨匠である。しかし・・・・・
これから、とても乱暴なことを言う。
スティーブン・スピルバーグも、クリント・イーストウッドも、新藤兼人も、みな同じような監督なんだ。いいねー、上手いねー、という作品を創る。感動作も撮れば、練達の職人技を駆使した映像を創ることもできる。私は今、テーマがどうだ、作風がどうだ、なんて些細なことは言ってませんよ、念のため。だから巨匠なんです。
しかし、それも巨匠なら、これも巨匠、ということ、ままあることである。
映画でいえば、間もなく89歳になる鈴木清順がそれにあたる。
鈴木清順の”大正浪漫三部作”が上映された。『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の三部作。
東京では、今年1月半ばから2月初めにかけ、渋谷のユーロスペースで。今ごろは、関西も過ぎ、九州、北海道へ周っている頃である。

鈴木清順の世界だ。
”清順美学”と言われる。その頂点が、この”大正浪漫三部作”。
鈴木清順、1968年、日活を解雇される。ワケの解からない映画を撮る、という理由で。当時の日活の社長・堀久作、カンカンに怒り、鈴木清順を首にする。
少し横道に逸れると、あの頃の日本映画各社の社長、なかなか個性的な男が揃っていた。日活は堀久作、大映は永田雅一、東映は大川博、新東宝の社長は、その後、妾を女優にしたんじゃない、女優を妾にしたのだ(逆だったかな)、という名言を吐いた男であった。あれ、松竹は誰だったか。いや、みなさん魅力的な人だった。
それはともかく、日活を首になった鈴木清順、その後10年間、映画を撮ることは叶わなかった。

『ツィゴイネルワイゼン』、1980年の作。鈴木清順、思いのたけをぶちまけた。
主演は、原田芳雄。
士官学校教授の青地(藤田敏八が演じる)と、元は同僚であるが今は無頼の友人・中砂(原田芳雄が演じる)が、旅をしている。
盲目の門付けの芸人も出てくる。先導は、麿赤児が扮する。弟の葬儀の帰り、という芸者(太谷直子が扮する)も出てくる。とても色っぽい。青地の女房は、周子(大楠道代が扮する)という。周子の妹の言葉で、中砂と周子の間に何かが、ということにも発展する。中砂の目に入ったゴミを周子が舌で取り去った、ということなど。
忘れてはいけないのは、四六時中サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が聴こえている、ということ。聞き取ることはできないが、そのレコードにはサラサーテの声も入っている。不思議な局面、何とも解かりづらいよ。
解かりづらくっていいんだ。”大正浪漫”、そういう時代なんだ。

面白い場面である。
左から、藤田敏八扮する青地、太谷直子扮する中砂の最初の妻と後妻(太谷直子、二役を演じた)、原田芳雄扮する中砂、そして、青地の妻・周子に扮する大楠道代。
みな、大正という時代に浸りきっている。大正という時代、日本歴史の上では、忘れ去られた時代であるのだが。
鈴木清順の”大正浪漫”、何故に大正か。忘れ去られた大正か。
実は、大正時代に関しては、さほどの研究もされていない、という。
現在では、日本の現代史に関しては意見を求められる一人・原武史に、『大正天皇』(2000年、朝日新聞社刊)という書がある。その中には、こういう言葉も。
明治天皇は、大帝である。昭和天皇は、名君である。その間の大正天皇は、置き忘れられた、とも。”抹殺された”とも。
しかし、大正天皇、たしかに病弱ではあったが、ご気分がすぐれた時には、ごく普通のお人であられた。大正のお人。
大正時代、大正ロマン、大正モダン、大正レトロ、デカダンスの時代でもあった。鈴木清順の映像の如く。