J.エドガー。

J.エドガーと聞いても、はて誰のことか、と日本人にはよく解からない。しかし、その後ろに”フーバー”と続くと聞くと、アメリカに幾ばくかの興味を持っている人は、ああ、あの男のことか、とよく解かる。
この男に対し、殆んどの人はマイナスイメージを持っているであろう。よほどのへそ曲がりでない限り、この男が好きである、という人はいないのでは。
やはり悪のイメージが強いあのリチャード・ニクソン(なかなか大した人物ではある)でさえ、表づらとは裏腹に、この男を嫌っていた。
この男、ジョン・エドガー・フーバー、1924年、FBIの初代長官に就いた。ジョン・エドガー・フーバーがまだ29歳の時である。それ以前、司法省勤務の頃から、キレ者ではある。しかし、20代でFBIの長官に就くなんて。J.エドガー・フーバー、FBIの権力をどんどん強くしていく。
J.エドガー・フーバー、母親からこう教えられて育った。「強い男になれ。権力者になれ」、と。権力者となった。アメリカの最高権力者は大統領である。J.エドガー・フーバー、その大統領をも震いあがらせる男となる。手段を選ばず。
J.エドガー・フーバー、1972年に死ぬまで、48年間、ほぼ半世紀の間FBIの長官であり続けた。その間の大統領は、8人。半世紀の長きに渉り、8人の大統領に仕えた、と言えばそうではあるが、実情は、8人の大統領に睨みを利かせ、脅してもいた。盗聴、盗撮などはお手のもの、それぞれの大統領の弱みを握っていた。
だから、誰もJ.エドガー・フーバーを首にできない。そのそぶりを見せると、機密ファイルの存在をちらつかされる。貴方の弱みを暴露しますよ、と脅されるんだ。
あのアメリカで、半世紀にも渉り、そういうことがあったんだ、とも思うが、たしかにあった。

監督は、巨匠・クリント・イーストウッド。上手いもんだ。
ここ10年ばかりのイーストウッドの作品を眺めても、「ミスティック・リバー」、「ミリオンダラー・ベイビー」、硫黄島二部作、「グラン・トリノ」、「ヒアアフター」、どれをとっても上手いなあー、というものばかり。この「J.エドガー」もそうである。
J.エドガー・フーバーには、レオナルド・ディカプリオが扮している。ディカプリオ出色の演技。彼の代表作となるのじゃないか、と考える。ディカプリオの顔つきも、現実のフーバーを思い起こさせる。
役者ではあと一人、フーバーの母親役を演じたジュディ・デンチ、凄みのある演技であり、顔つきであった。J.エドガー・フーバー、このような母親が生み出した、ということが伝わってくる。

その母親と共に、J.エドガー・フーバーに関わる人物があと二人登場する。
一人は、ヘレン・ガンディという名の女性である。若い頃、フーバーが会い、プロポーズをするが断られた女である。私は、結婚はしない、と言って。しかし、この女性、フーバーの秘書となることは受け入れる。
フーバーが死ぬまで、忠実な秘書となる。フーバーが死ぬに際した時、最後に頼ったのもこの女性である。フーバー、自分に万が一のことが起こった時には、機密ファイルを処分してくれ、と頼ったのがヘレン・ガンディというこの女性。ヘレン・ガンディ、フーバーが死した後、機密ファイルを着実に処理した。
時の大統領・リチャード・ニクソンが、FBIに機密ファイルを取りに来るまでに。ヘレン・ガンディというこの女性、半世紀近くに渉り、J.エドガー・フーバーを支え続けていたんだ。
フーバーに関わるあと一人は、クライド・トルソンという男。
若い頃、フーバーと会う。クライド・トルソン、美青年だ。フーバー、トルソンをFBIに雇い入れる。その内、フーバー、美形のトルソンをFBIの副長官に取りたてる。
実は、フーバーもトルソンも生涯結婚をしていない。フーバー、バイセクシュアルということが暗示される。
トルソンとの間は、ホモセクシュアルな関係となる。ランチかディナー、一日に一度、どちらかの時には一緒に食べよう、ということに決める。半世紀近くの間。トルソンの方が弱ってきたか、ということが続くが、最後には、フーバーの方が先に死ぬ。
それはともかく、FBI長官のフーバー、最も強く、何とか首にしたいと思っていた男は、ロバート・ケネディーだ。
時の司法長官・ロバート・ケネディー、J.エドガー・フーバーに迫る。その時、フーバーこう応える。「貴方のお兄さんの大統領、ホワイトハウスの執務室に女優を引っぱりこみ、セックスをしているのですが」、と。JFK、ジョン・F.ケネディー、魅力溢れる男であったが、女性問題の多い男でもあった。弟のロバート・ケネディー、引き下がらざるを得ない。
それにしても半世紀にも近い間、”国家の保全には、法を曲げることも必要だ”、という男がいたこと、現実である。
J.エドガー・フーバー、人種差別論者でもあり、キング牧師のノーベル賞受賞に対しても、その阻止のための行動を起こしている。失敗には終わったが。
考えてみれば、ついこの間の現代史である。