岩手あちこち(11) 釜石駅前、午前6時33分、バスは出る。

三陸へ行こう、と思っていた。特に釜石に。そして、せめて釜石から気仙沼あたりまで、と。
昨年の夏前、新幹線も復旧したし、と行くことを考えた。釜石までは釜石線で行くことができる。しかし、岩手県交通の釜石営業所へ電話すると、釜石からのバス、近場のみであった。大船渡までも行くことができない。それでも行こう、と思った。
しかし、宿がまったく取れなかった。釜石はもちろん、遠野も、花巻市内でも、まったく。開いている宿、復旧関連の人やボランティアの人たちが押さえていた。夏になると、熱中症もどきになり医者に行く以外、家の中でじっとしていた。秋になると、孫が生まれるので、カミさんから禁煙を厳命され、その禁煙薬の副作用でボーとしていた。冬になって、やっと念願を果たした。
三陸では、何故釜石か、何故釜石から気仙沼かについては、幾つかの理由がある。
一つは、遠野から入ることができること。二つ目は、新日鉄釜石のラグビーだ。日本選手権7連覇の”北の鉄人”・新日鉄釜石。30年前後前の話であるが、ラグビー好きには記憶に残る釜石だ。三つ目は、森進一の「港町ブルース」だ。名曲だ。昔、飲んだらカラオケが当然だった頃には、私の持ち歌のひとつであった。
「港町ブルース」、北は函館から南は鹿児島まで、6〜7番ある。その2番、”流す涙で割る酒は〜・・・・・”の港は、”港〜 宮古 釜石〜 気仙沼〜”だ。三陸では、宮古もあるが、やはり釜石であり気仙沼であるんだ。だから、せめて釜石から気仙沼へ。
しかし、釜石から気仙沼へ行くのに、何故まだ暗い早朝のバスに乗らなければならないのか。実は、今、気仙沼までの直行便はないんだ。まず、大船渡まで行く。大船渡行きのバス、6時33分の次の便は、14時28分なんだ。そのバス、大船渡には15時49分に着く。しかし、その時間では、気仙沼に行くバスはない。大船渡から気仙沼へ行くバス、日に2便しかないんだ。
前段が長くなった。しかし、今の三陸の状況の一端、こういうものなんだ。
話を進めよう。

午前6時半の釜石駅前。だれもいない。
前の夜、タクシーの運転手に聞いた話では、大津波は港からは離れているこの釜石駅にも届き、50センチほど沈んだ、という。
駅前、昨日の夜と変わって、夜半に雪化粧をしたようだ。
午前6時33分、釜石駅前をバスは出た。

釜石からの乗客は、私の他に3人のみ。

     青じろい骸骨星座のよあけがた
     凍えた泥の亂反射をわたり
     店さきにひとつ置かれた
     提婆のかめをぬすんだもの
     にはかにもその長く黒い脚をやめ
     二つの耳に二つの手をあて
     電線のオルゴールを聴く
宮沢賢治 「ぬすびと」。

釜石駅前を出てから10分ぐらい経ったころだろうか、このような光景が窓外に出てくる。
前夜タクシーで回った地域と異なり、ここらは住宅地であったのであろう。コンクリートの土台のみが残っている。あとはみな流された。
なお、中央前方の灯かりは、前の夜タクシーで回った釜石港の方。

15分くらい経つと、バスは上の方へ上がっていく。向こうの灯は釜石港だ。

暫らく進むと、国道45号線に出る。
左 宮古、右 大船渡、という標識がある。

進んで行くと、小さな入江があった。中央の左の方だ。その右側近辺の家は、やはり流されたようだ。

山の中に仮設住宅がある。バスはそこに寄る。

乗ってくる人はいなかった。もちろん、降りる人も。

国道45号線、幹線道路であるが、走っている車は少ない。トラックに追いついた。雪の山道、運転手、慎重に追い越していった。

中央部は入江だが、手前の家々は高い所にある。大丈夫だったようだ。

しかし、ここはダメだった。
正面の大きな建物を除き、あとはすべて無くなっている。その正面の大きな建物にしても、窓も扉も何もない。すべて流された。

昨年3月11日、大地震後の大津波は、ここに住む人も、ここに建っていた家も、すべてを流し去った。

今、雪を被った土台のみを残し。
何人も、いや、多くの人の営みがそこで途絶えた。

三陸沿岸、小学校か中学校で習ったようにリアス式の海岸だ。まさに、そうである。小さな入江が連なるかと思うと、山が迫る。と、また、入江が現れる。
この地域も壊滅していた。
理不尽だ、と思う。だが、これが自然の摂理だ、とも思う。

釜石駅前を出てから40分足らずで、荒川という所に着いた。
誰も降りるわけでもない、誰が乗ってくるでもない。しかし、バスは停まった。
バスを停めた運転手、こう言った。「本来は、ここで一旦100円を清算していただくのですが、今乗っているお客様は4人だけ。私は憶えていますので、降りる時に100円をプラスしてお支払いください」、と。
何と、釜石駅前からここまで40分近く乗ったバス代、100円だと言う。被災した釜石市民のため、どうも、釜石市が補助しているようなのだ。私のような酔狂な男が、そのお相伴にあずかり申しわけない気分でいっぱい。


バスは雪の道を走る。大船渡へ向けて。たった4人の乗客を乗せ。
そろそろ釜石市から、大船渡市に入るのであるらしい。市とは言っても、海沿いの小さな入江の側であったり、山の中であったり、というものであったが。
でも、”三陸”という言葉が自然に浮かぶ。
雪の中、バスは走る。