岩手あちこち(10) 釜石。

4時半ごろ釜石に着く。

ホームに降りると、オッ、煙があがっている。釜石だ。
釜石に着く少し前、右手の方に同じような茶色っぽい建物の塊りが見えた。仮設住宅じゃないかな、と思った。後でタクシーの運転手に聞いたら、やはりそう。仮設であった。
宿は、駅の近く。ウェブサイトでは旅館となっていたが、近づくと、”民宿”という大きな看板が出ていた。部屋にはトイレも風呂もない。寝巻もないので持ってきてくれ、と言われた宿。でも、宿の人は感じのいい人だった。岩手の人、たしかに、”ぬぐい”んだ。
すぐにタクシーを呼んでもらう。釜石では、時間がない。明日の朝、早いんだ。6時33分のバスに乗らなければ、気仙沼に着けないんだ。釜石での時間は、夜のみ。
すぐに来たタクシーで港の方へ。

まだ5時前なのに、周りは暗い。港の近くへ来ている。

タクシーの運転手、魚市場のあったあたりだと言う。

     いつたいそいつはなんのざまだ
     どういふことかわかつてゐるか
宮沢賢治「春光呪咀」の冒頭二行。
いったいどういうことだ、この光景は。1年近くも経って、という思いもある。しかし、それよりも、いったいどうして、という思いが強い。事の顛末は解かっている。でも、どうして。
昨年12月9日現在の岩手県災害対策本部の資料によれば、釜石市の死者は885人、不明者175人、合計1060人、とある。こういう状況となること、誰が予測できたのか。

”全面通行止”となっている。
私は、タクシーを降り、中へ入って行く。

こういう建物が幾つもある。津波の力、実際に見なければ解からない。

左の方は、釜石港だ。

船がついている。
釜石港、動いている。

さらに走ると、こういうところがあった。

煙とサイロ。
タクシーの運転手の話によれば、煙は、新日鉄釜石の火力発電所の煙突からのもので、大きな建物は、肥料のサイロだそうである。大震災後も稼働している、という。

走っていると、こういうところもあった。上は高速道路。

ところどころタクシーを停め、車から降りた。
港の突堤にも上がってみた。その手すりも、本来の位置から移動していた。

津波に流された車が寄せ集められているところもあった。

大きな重機が向こうの方に見えるところもある。暗闇の中、巨大な蜘蛛のように見えた。

タクシーのナビ。
この時走っていたのは港町か。釜石港の周りをグルグル走った。時々停まって。

釜石の港。
悲しみを抱かえこみ、今は、静かにある。
1時間近く走り、駅前へ戻ってもらった。車を降りる時運転手に、「夜、港の方へ行く酔狂なヤツはいるか」、と聞いた。「まあ、いませんね」、と運転手笑いながら応えた。


釜石駅前には、こういうモニュメントが。
「ものつくりの灯を永遠に」と書かれている。新日鉄の釜石だ。
7時過ぎ、宿の食堂へ下りていくと、作業服を着た2〜3人づれの男たちが何組も入ってくる。彼ら、復興関連の仕事で泊まっているらしい。今の釜石だ。