しめ縄(続き)。

昨日の続き。
行こうとしていた神社、すぐ近くというわけではないが、遠方というわけでもないところにある。歩いて行ける範囲。しかし、着いた時には、暗くなっていた。のんびりぶらぶらの散歩ではあるが、あちこち道草を食いながら歩いていたから。止まっていた時間も長い。

赤城神社、上州の赤城山の土だかお札だかが流れ着いて、という話が伝えられているそうだ。神域はそこそこ広いが、少し高い丘の上に小さなお社がある、といった神社。だが、この神社の最大の特長は、そのしめ縄。
この横にある解説板には、こう書いてある。<稲藁を打ち、縄をないで、長さ約10メートル、太さ約1.5メートル、重量約500キログラム。近郊では屈指の大きさ・・・・・>、と。ややオーバーじゃないかな、という気がしないでもないが、確かに存在感のあるしめ縄だ。

近寄ってみる。
2本の縄を綯ったものなら”めおと綯い”だが、このしめ縄は、3本の縄を綯ってある。何て言うのかな。そういえば、〆の子の縄も3本だ。やや田舎風、鄙びた感じで。
しめ縄、どのようなものであろうとも、神域である常世と現世の結界。稲藁を綯うことによってそれを表す。農耕民族でなければ考えつかず、生まれ得ない表現。とても奥深い。

この階段を上がったところにお社がある。
暗くなった頃なので、お参りの人はだれもいない。

階段を上がったところにあるお社。小さなお社だ。
お賽銭をあげ、鈴を鳴らし、お願いをした。ひとつことのみを。孫の一家が幸せでありますように、と。彼らが平穏に暮らせますように、と。
お参りの人はだれもいないな、と思っていたら、帰りの階段のところで家族連れらしい4〜5人連れにいきあった。彼ら一家にも幸せを。

帰り道、今一度、結界の端境、しめ縄を。
右の方、末の方から。