復興、再生の一年目、明ける。

昨夜、NHK「ゆく年くる年」を見ていたら、東大寺が出てきた。あれ、珍しや。ここに東大寺の映像が流れるのは、と思った。東大寺、あまりにもポピュラーであるが故、もう何年もここには出てきていなかったような気がする。また東大寺か、大仏か、と思う人、案外いるであろうから。
昨夜の中継も、中尊寺はじめ東北の寺が主であった。大震災の年、これは当然。その中に東大寺が出てきた。NHKのディレクター、熟慮の結果の東大寺であったに違いない。
大地震、大津波、かてて加えて原発事故。このような大災害の年を送り、新しい年を迎えるためには、並みの寺では荷が重い。古代日本のまほろば・大和の大寺が必要とされる。で、もっとも相応しいのは東大寺。これに文句をつける日本人は、いないであろう。
東大寺鐘楼の場面で、年が変わった。

午前0時00分、国宝の梵鐘「奈良太郎」の響きで今年が明けた。
天平勝宝4年(752年)、大仏開眼と同じ年に造られた「奈良太郎」じゃなければ、この大役は担えない。国難の年から、復興、再生への第一年となるこの年への引き継ぎ役は。
天変地異の災害ならば、その復興、再生、5年もあれば何とかなろう。しかし、原発災害の克服には、少なくとも数十年は要する。いずれにしろ、今年は、その第一年目。粘り強くやる、に尽きる。
昨年3月11日、三陸沿岸を大津波が襲った時、陸前高田の防潮林の松林、1本だけ残った。7万本の松林の中で、ただ1本だけ。
”奇跡の一本松”、と呼ばれた。それが、いつの頃からか、”希望の一本松”、と言われるようになった。しかし、大津波に襲われた折り、10メートルもの海水に浸かった一本松、塩害で立ち枯れた、と年末に報じられた。けなげに一本だけ立ち、希望の星であったが。
その一本松、12月24日の夜、クリスマスイヴにライトアップされた。ヨミウリ・オンラインの写真をコピーする。

立ち枯れてはいるが、一夜限りのライトアップ、美しい。
もの悲しく儚げな風情ではあるが、すっくと立った様、希望を与えてもいる。この松は立ち枯れたが、接ぎ木その他で、一本松の遺伝子を受け継ぐ苗が育っているそうだ。陸前高田の”奇跡の一本松”、自らは死したが、”希望の星”の役目、次世代に引き継いだ。
生物の、また、人の生には限りがある。でも、次から次へと引き継がれる。
今日明けたこの年も、その一過程。50年か100年後には、陸前高田の海岸に、再び7万本の松林が出現していることだろう。