年の瀬のゴールデン街。

昨日の話である。
夕刻、古い友R.H.と待ち合わせ、犬飼三千子展へ。早い時間である故、まずはおでん屋で飲む。
入った時にはまばらだった店内、6時すぎ出る頃にはどっと混んできた。祝日や連休などにはとんと疎くなってきたが、世間では、翌日から3連休だという。それに、いつの間にか年の瀬。そういうものだろう。
ここ2〜3年、ゴールデン街のバー・十月の師走の展示は、犬飼三千子展が慣いになっている。飲んべえのR.H.は、十月へも時折り行っているようであるが、私はだんだんこのような時以外行かなくなった。久しぶりのゴールデン街。
都電通りからの小さな道をゴールデン街の方へ入ると、道の両側にバイクが10台ばかり止まっている。新宿区の警告文がミラーに取りつけられている。12月28日以降も放置してあると撤去処分をする、という文面。昨日は22日、恐らく1週間の猶予を与えているらしい。新宿区、ずいぶん悠長なことを考えているものだ。
中には、金沢ナンバーのデカいバイクもあった。逆に言えば、新宿区は1週間の駐車なら認めているようなものだから、遠方からのバイクのお兄さんも、ゴールデン街で心おきなく飲んでいられる、ということかもしれない。
それも、考えようによってはいいことだ。ゴールデン街活性化の足しになる。

6時半頃のゴールデン街。まだ早い時間だが、それにしても人は少ない。新宿の街中、掃いて捨てるほど人がいるのだが。しかし、ものは考えよう。このうら寂しさもゴールデン街。
小さなバー・十月も人は少ない。先客が2人いた。ひょっとすると、2人の客でもまあまあかもしれない。もう来ているかな、と思っていた犬飼三千子もすでに飲みながら作品を創っていた。

小さなバー・十月の壁面には、いつも小さな作品が掛けられる。小さな犬飼の作品、10数点。アクリルで描いた作品もあるが、多くは、「十月シリーズ」と題するエッチング。

バー・十月は、2階。狭くて急な階段を上がって行く。

その階段は、もちろん木。上がると、小さなドアがある。
毎月メルマガが届くので、その動静、いくばくかは解かっているが、歌を詠み、ずっと毎月、20本以上の映画を観ているママさん、変わらずお元気であった。

十月への通り。正面は、花園神社だ。
R.H.や犬飼との話の中で、才能の枯渇、ということに話が及んだ。誰それはどうこう、というような。犬飼に、「貴女は、こうと思えばまたあちら、とやっているが、枯渇ということを考えたことはないのか」、と尋ねた。犬飼はこう言った。「私、そういうことは全くないの。次々浮かんでくるのよ」、と。
そうかもしれない。なんじゃこれ、というようなものも含め、年がら年中、何かやっているような気がするもの。昨日は、こういうような作品を観たが、ふた月ほど前には、こういう作品を描いていたんだ。

10月始め、銀座・オカベ画廊での犬飼三千子の個展の出品作。タイトルは、「往にし方(B)」。この作品、とても面白い。
それはそうと、その内どういう訳か思い出せないが、カラオケの話になった。行こうか、ということで行った。私は、カラオケなど久しぶり。仕事から引退してからは行ったことがない。あとの2人も久しぶりだ、なんて言っていたが、そうでもなさそうであった。
私はもちろん、3人が3人とも、酷い音痴であった。しかし、次々に歌った。演歌、しかも、その前に”ド”が付く歌を、私は歌った。楽しかった。
おでん屋からゴールデン街のバー、そしてカラオケ、年の瀬の新宿のはしご酒、久しぶり。今、現役の人たちにとっては、このようなコース、スタンダードなはしごの一典型であろう。でも、世間から離れた隠棲者にとっては、たまさかの行きがかり。
昨日は、遅く帰ってきた。で、記述は今日に、となった。