真珠湾70年。

真珠湾への奇襲から丁度70年となる。
奇襲は成功した。しかし、副産物が残った。”卑怯、卑劣なジャップ”、という汚名が。今日流れた数少ないテレビ映像の中にも、ルーズベルトがこの言葉を使っている個所があった。
自衛の戦争の場合には、必ずしもハーグ条約にとらわれなくてもよい、という解釈もあるが、アメリカへの最後通牒の遅れ、返す返すも無念、残念至極。
今日の朝日に、日本近代史が専門の東大教授・加藤陽子へのインタビューが載っている。タイトルは、「真珠湾が教えるもの」。
加藤陽子は1960年生まれの気鋭の学者、半藤一利や保阪正康などといったお馴染みの物書きとは異なった視点で、日米開戦を捉えている。当時、日本国中、アメリカへの強い不満が充満していた、という。日本のやること為すこと、さまざまなことにアメリカは文句をつけてきた。客観性は措く。日本人は、そう思った。なんだアメリカは、と。
加藤陽子の考察、的を射ている。
日本とアメリカの国力差は、少し頭の働くヤツからみれば歴然。しかし、人は感情を持つ。日本を締めつけるアメリカの振る舞いに、堪忍袋の緒が切れるのも時の勢い、致し方ないかもしれない。で、そうなった。
アメリカは日本を少し過小評価していた。経済制裁で締め付ければ音をあげる。反抗はできない、戦争に訴えることなどできない、と。で、日本を追い込んだ。しかし、日本はアメリカを叩いた。70年前の今日。
緒戦は大成功であった。日本中が沸いた。後年の姿勢から見れば不思議な感も憶えるが、中島健三、小林秀雄、亀井勝一郎その他の文学者連中も喜びの声をあげている(半藤一利著『昭和史』、2004年平凡社刊)。アメリカの軛を脱しよう、という思いがあったのではないかな。日本の為すことになんでも文句をつけてくるアメリカの軛を。
気鋭の学者・加藤陽子は、今、中国で似た空気がある、と言っている。中国は、環境、資源、貿易、資本のルールを押しつけてくる米国にいらだっている。自分たちのやり方がなぜだめなのか、軍備を増強するとなぜ非難されるのか、と不満を持っているはずです、と。
学者の考えだ。でも、的を射ている。まさにその通り。これからの数十年、世界は米中を軸に廻っていくに違いない。その近くに位置する日本としては、中国に70年前の日本と同じ行動をとらないことを願っているが。さて、どうなるか。
<昭和十六年十二月八日は、世界史において永遠に記憶せらるべき吉日である。米英両国に対する宣戦の詔勅はこの日をもって渙発せられ、日本は勇躍してアングロサクソン世界幕府打倒のために起った。・・・・・>。
大川周明の言葉である。昭和17年1月刊の大川の著・『米英東亜侵略史』の序の言葉。佐藤優著『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(2006年、小学館刊)に収められている。
緒戦は勝利した。でも、最終的に日本は敗れた。どう思うべきか。思う以前に、私は、今では、12月8日という日自体を思う人が少ないのだろうな、ということを嘆く。致し方ないのかもしれないが、やはり寂しい。今日は、真珠湾攻撃の日。日本のターニングポイント。たしかに、ハルノートはきつかった。そして、12月8日。
70年前から時間は経った。世界情勢も変化した。アメリカは変わらぬが、眠れる獅子・中国は変わった。残念ながら、あと何年かであるかもしれない私はその行く末を見ることはできないであろうが、今後の米中のことごとどうなるか、興味深い思いがある。
いずれにしろ、そうして時は過ぎていく。