薬、そして、GPH。

薬というものは凄いものである。尋常なものではない。
禁煙薬を飲みだしてから一か月になる。服用一週間後からタバコを吸わなくなった。50年以上に及ぶ喫煙がピタリと止んだ。禁煙の苦しみもない。不思議なものだ。凄い薬だ。しかし、その代償も凄い。副作用がキツイ。
嘔吐感がある。終日続く。気分が悪い。
以前、胃を切除した後、半年少しばかり、抗癌剤を打っていたことがある。髪の毛が抜けるといった外形の変化はなかったが、薬を投与した後は、身体がふらついた。病院の廊下でしゃがみこんだこともある。だから、薬を打った後は、治療室のベッドで2時間ほど横になっていた。その後、仕事に行った。しかし、今回の禁煙薬の副作用は、それほどのものではない。でも、キツイ。頭も重い。ボーとしている。
何日か前から、たまにはブログを書こうかな、と思っていた。しかし、そうは思っても、いざキーを打とうかとなると面倒になる。そういう気になれない。なにか身体の中が変わっているような感じがする。薬のせい。タバコは止めたが、身体そのものも、どこか変わってしまった気がする。薬の恐ろしさ、と言ってもいいかもしれない。
何日か前、孫が退院してきた。暫らくこちらにいるらしい。その様子を、と思ってはいたが、そういう行動が伴わない。薬の影響だ。
暫く前までは、カミさんとの二人暮らしであった。それが、孫が帰ってきた。その母親である娘もきた。週末などには、その亭主であるむこ殿も来る。急に大家族になった感じがする。犬も変わった。孫が家に来てからは興味津津、赤子の動きにたちどころに反応する。ピョンピョン赤子に飛びかかる。私たち人間は、それを封じる。赤ちゃんに黴菌なんかが付いたら大変と。
いやー賑やかなんだ。ここ何日か。でも、それを書こうかな、と思っていてもそうはならない。禁煙の薬の影響で、とてもそういう気にはならない。薬の影響で、書く気にならないんだ。たしかに、あれほど吸っていたタバコを止めようとするのだから、それはそれで、凄い薬効も凄い副作用も兼ね備えている、ということなのであろう。
凄い効能を持つ禁煙薬に任せていたら、その副作用(身体のあちこちを切除し、骨と皮の私、その影響は強い。特に、消化器にハンデがある故)で、ズーと書けないかもしれない。それじゃまずいので、副作用の間隙をぬって、今日、これを書いている。
     眠りつつ笑みもらしおり小春の児
我が家に来てから3年ばかりになる犬は、小さな赤子の出現に興味津津、その動きにいちいち反応する。ピョンピョン跳ねまわる。でも、こいつはどうも人間らしいな、とだんだん解かってきたようにも見える。
     赤子泣き犬駈けまわる小春かな
何人かの方から、孫誕生に対する祝いのメールをいただいた。その中に、こういうことを言ってくれたメールがあった。<”国民総幸福”のブータン国王夫妻が来日中に生まれた赤ちゃん、その幸せを祈ります>、との。
私は、ブータンの先代国王が提唱し、現国王も引き継いでいるGNH(国民総幸福)という考えには、いささかうさんくさいものを感じていた。GNHという考えを、ややシニカルな眼で見ていた。シッキムの例もある。中印という大国に挟まれたヒマラヤの小国が、生き残るために考えついた方策のひとつだ、と。
しかし、来日したブータンのワンチュク国王夫妻は、とても気持ちのいい人であった。日本中の人が魅了された。私もそうだ。若い国王夫妻が大好きになった。生まれたばかりの孫も、ブータンの国王夫妻のような、大らかで思いやりのある人間になってもらいたいと思っている。
で、GNHならぬ、GPH(個人での総幸福度)といったものを思いついた。
こういう句も詠んだ。
     孫犬私みんなうつつの小春かな
机の上に設えた特別なところには、白い御包みの赤子が眠っている。その下のホットカーペットには、枕をした犬が横になっている。その横では、私が倒した座椅子でうつらうつらしている。
孫も、犬も、禁煙薬の副作用でボーとしている私も、ひとつところで、みんなうつらうつらとしているという情景である。知らない人がその光景を見たら、一瞬驚くかもしれない。
幸せな光景である。今後何年続くのか、解からない。でも、私には、今、この瞬間だけで、幸せだ。
私のGPHだ。