孫生まる。

昨夜半、今日への橋渡しの時間、孫が生まれた。
出産に立ち会った婿殿から電話があった。今、生まれた、と。電話を取ったカミさんは欣喜雀躍、「よかった、よかった」、の連呼。それを聞いた私は、「そうか、生まれたか」、と一応冷静を装うが、心の中では、「よかった、嬉しい」、という思い。
昨夜半、赤子を産んだ私の娘が生まれた時、歌詠みであった私の母は、こういう歌を詠んだ。
     我が生も終りに近し新しき命継ぎゆく孫生れたれば
母がこの歌を詠んだのは、今の私よりも若い頃。世代は受け継がれていく、受け継ぐ存在が現れた。その思い、母より年かさで孫を得た私には、より強い。”オレも、さまざま考えなければな”、と。
しかし、歌など詠まない私、孫が生まれたという話を聞いたあとは、焼酎のお湯割りをいつまでも飲んでいた。昨日の夜というか、今朝早くというかの頃には。
で、歌は詠めないが、句をいくつか詠んだ。
     冬浅き孫の誕生今日か明日
半年以上前に聞いた誕生予定日とピタリ。一体どういうことになっているのか不思議。
     赤子生まるむこ殿の声冬ぬくし
     日をまたぎ孫生まれきし冬の空
     寒星のひとつ心に暖かく
     吉報に終わることなき寝酒かな
昨夜というか、今朝早くというか、焼酎のお湯割りをいつまでも飲んでいた。昼近くに起きたら、頭が痛かった。二日酔い。面会時間の3時までには何とかなろう、という状態。
何とかなった。3時少し過ぎ、赤ちゃんと対面。10数時間前、この世に生を受けた赤ちゃん、口をもぐもぐさせたり、手足を突っぱったり、すーすー眠ったりしていた。こわごわ赤ちゃんを抱き、ふわふわの丸いほっぺをちょっとつついたりした。
     ちとつつくふわふわのほほ浅き冬
     伸びをする赤子をおもい寝酒かな
孫、赤ちゃんと会ってからの句。ふわふわの頬や、手足を踏ん張って伸びをする赤子の姿が目に浮かぶ。焼酎のお湯割り、繰り返している。明日起きられるか。そんなこと、どうでもいい。明日、私が起きなくてもそれでいい。命継ぎゆく存在が現れたのだから。
不思議なもの。私の人生、ひと区切りついた感じがする。