ヨコハマトリエンナーレ2011(10)。

アートというもの、所詮は個人の営為である。個の世界を創り出す。
「OUR MAGIC HOUR」はいいとしても、「世界はどこまで知ることができるか?」は、なかなか大変だ。世界とのつながり、世界への発信、アートというもの、もとより、主張することには向いてない。『ゲルニカ』のケースは、極めて稀。
今回、二人の作家が、世界へ発信している。
ひとりは、ジュン・グエン=ハツシバ。1968年、東京生まれ。父親はベトナム人、母親は日本人、アメリカで教育を受け、今、ホーチミンに住む。国際人といえよう。
ずっと、難民のためのプロジェクトをやっているそうだ。『Breathing is Free 12,756.3』、というタイトルの。”12,756.3”、というのは、地球の直径だそうだ。キロメートル。
あちこちの地図の道路に印をつける。GPSをつけ、その道路を走る。それをコンピュータに取り込む。それをもとにドローイングする。そういう映像作品。”難民のため”というコンセプト、それがどうつながるのかやや解りづらいが、何となく解らないでもない気がする。
ともかく、走るそうだ。GPSをつけて。体調を整えて。難民のためのプロジェクトのために。ヨコトリへの出品依頼を受けた後も走っていたそうだ。世界に発信する”難民のためのプロジェクト”を成すために。そこへ、突然、”3.11”が起こる。こういう作品を創る。

この背景は、横浜の港近くの地図だろう。

ジュン・グエン=ハツシバ、自らのアイデンティティー、特に意識はしない、という。ベトナム人と言われることも、日本人と言われることも、アメリカ人と言われることもある、と。
フリーなんだ。しかし、そうであるからかもしれないが、こう考えた。これを発信しよう、と。

ジュン・グエン=ハツシバ、ホーチミンで、横浜で、走ったそうだ。GPSをつけ。それをコンピュータに取り込み、こういう映像を創った。
桜の花が咲いている。走った軌跡だ。桜の花、季節の始めに咲く。で、タイトルは、『Breathing is Free、JAPAN、Hopes & Recovery』、とある。”希望と再生の日本”とした。
しかし、タイトルもその映像も、あまりにもベタ。アート、思いを主張することは、なかなかむつかしい。でも、その気持ちは、ありがたい。

あとひとりは、シガリット・ランダウ。1969年、エルサレム生まれ。今、テルアビブに住むユダヤ人。
この青い服を着た人が見つめているのは、シガリット・ランダウの『Dead See(死視)』。シガリット・ランダウ、体を張ってイスラエルとパレスチナの問題を訴えている。
500個のスイカが紐でつながれている。下の方には、割れたスイカもある。スイカ、あの地の名産らしい。ここにはないが、裸体の作家・シガリット・ランダウが漂っている。不思議で美しい作品である。
シガリット・ランダウのニューヨーク、MOMA・近代美術館での個展の模様も見た。彼女には、『Dead See(死視)』と共に、『Barbed Hula(棘のフラ)』という作品もある。
全裸のシガリット・ランダウ、有刺鉄線のフラフープを回している。回す度に、彼女の身体には、傷がつく。血も出る。しかし、彼女は、棘の輪を回し続ける。イスラエルとパレスチナ、その痛みを、自らの身体の痛みとして、世界に発信している。

今回のもうひとつの出品作『Barbed Salt Lamps(棘のある塩のランプ)』。
『死視』や『棘のフラ』の延長だ。トゲトゲの有刺鉄線を死海に沈め、引き上げる。濃度のべらぼうに濃い死海、有刺鉄線には、塩の結晶ができる。それが、これ。そう言えば、”死視”の”Dead See”も、”死海”・”Dead Sea”のもじり。それ以上にこの地の問題、複雑だ。
シガリット・ランダウは、彼女なりに正面突破を試みている。世界へ向けて。
その思いが届くかどうかは、むつかしい。いかに福島第一原発の終息問題はあろうとも、”3.11”は、2〜30年も経てば終息する。だが、イスラエルとパレスチナの問題は、5〜60年経っても終わりは見えない。シガリット・ランダウの闘いは、続くだろう。
それにしても、彼女の作品、美しい。