ヨコハマトリエンナーレ2011(4)。

今回のヨコハマトリエンナーレ、なぜ面白いのか、少し考える。
実は、今までのヨコトリも面白かった。お祭りのような楽しさ、面白さがあった。
1回目だったか2回目だったか、会場で、若い作家の小さな布の人形を買ったことがある。今も、私の部屋にぶら下がっている。その若い作家、会場の中で来る日も来る日も、電動ミシンで小さな人形を作り続けていたようだ。お祭りの屋台で、焼きそばを買うような面白さがあった。
それはそれで面白かった。しかし、今回の面白さは、それとは少し趣を異にする。
総合ディレクターの逢坂恵理子はじめさまざまな分野のディレクター、どうも、全体の構成、個々のパートのことごと、突き詰めたように見受けられる。「OUR MAGIC HOUR  世界はどこまで知ることができるか?」、に向かって。
各部屋、各パートに、意味合いを持たせた。それが理解されようがされまいが、強いメッセージを込めた。
横尾忠則のように、ひとりで一部屋を与えられている作家も多くいる。工藤哲巳もそうだ。小さなコーナーに、工藤哲巳がただひとり。1作品のみ。

工藤哲巳作『VOTRE PORTRAIT(あなたの肖像)』。
小さな鳥かごに入ったこの作品、今や、古典的名作となった。他の作家とは隔てられたコーナーにある。1点のみ。
これも、趣向。しかし、多くの作品は、考え抜かれた構成となっている。例えば、この部屋。

暗くて、写真では、横浜美術館所蔵のイサム・ノグチ作『真夜中の太陽』しか解らないが、この部屋には、丸いもの、球体の作品が多く集められている。レコード盤を轆轤にしたものや、丸い焼物などが。”円”、”丸”、というコンセプト。
”円”は永遠、という意味合いがあろう。
しかし、そのようなディレクターたちの思いが、最もよく表れていたのは、この部屋だろう。
ドーム型天井の丸い壁面の部屋に、3人の作家と、古い遺物が並んでいる。

入口から中を見る。
左には、教会のステンドグラスのようなものが見える。中央にアーチ型の窓があり、その両脇には、丸い窓。
右の方には、鉄パイプが高く組まれている。下の方からは、重低音の響きが聴こえる。パイプオルガンの音のようにも。
左の作品は、ダミアン・ハーストの『知識の木』。右の作品は、マッシモ・バルトリーニの『オルガン』。どうも、キリスト教の世界を表しているようだ。
”知識の木”、”原罪の木”でもあろう。近寄ると、こう。

これではよく解らないが、蝶の羽が一面に貼り付けられている。教会のステンドグラスのように。蝶の羽は、蝶の死体。蝶の死だ。
すぐ横からは、パイプオルガンの調べのような重低音が聴こえる。宗教世界を表しているように思える。振り向くと、それが確信に変わる。

アクリルに囲まれているので、映り込みがあるが、左の作品は、チョン・ジュンホ作『彌勒菩薩半跏思惟像』。右は、横浜美術館所蔵の「コプト織裂」。
左の弥勒菩薩、上半身は骨だけだが、奈良・中宮寺の彌勒よりは、京都太秦・広隆寺の彌勒菩薩に近い。いずれにしろ、56億7千万年後に衆生を救うために現れる仏さま。
このドーム天井の部屋、コンセプトは、宗教か。右には、コプト織りの古裂があるし。

コプト教、エジプトに伝わる原始キリスト教の一派である。これは、綴織りのコプト織り、その古裂だ。
よく見ると、コプト教の聖職者の姿が織りこまれている。
この部屋を見るだけでも、今回のヨコトリの面白さ、解る。