ツリー・オブ・ライフ。

今日のさまざまなメディア、カダフィが如何にして殺されたのか、どのように死んだのか、報じている。カダフィは、どういう男だったのか、その悪行の数々を、また、カダフィの一生は、その人生は、といったことごとを。
『ツリー・オブ・ライフ』は、人間とは何か、人は如何に生きて行くべきか、また、人生とは、というようなことを描こうとしたものらしいな、と思われる映画である。
”らしいな”、と打ったが、正直に言って、よく解かり難いのだ。アラブの春、イスラム世界とは違い、キリスト教の色が、その根底にはある。2か月ほど前に観た。

映画の初めの方に、「ヨブ記」からの言葉が出てくる。『コーラン』を読んでいる人よりは多かろうが、『旧約聖書』を読みこんでいる日本人も少なかろう。私も、そう。読んではいない。だから、より解かり辛い。
監督は、テレンス・マリック。主演は、ブラッド・ピット。ショーン・ペンとジェシカ・チャステインも。
ついでながら、クラーク・ゲーブル、マーロン・ブランド、ロバート・レッドフォード、というアメリカの二枚目の系譜がある。一般にはどうだか知らないが、私が決めたもの。甘いことはもちろんだが、やや顎が張った顔の系譜。今、その系譜を継ぐのは、ブラッド・ピットであろう。アメリカン・ハンサムの一典型。彼が、父親役を演じる。
それはともかく、冒頭が凄い。なんじゃこりゃ、というような映像が続く。
宇宙の誕生、天地創造、生命の誕生、恐竜の時代、人類の誕生、・・・・・、BBCの科学番組か、というような場面が延々と続く。荘重、壮大、重厚なクラシックの調べが重なる。いずれも耳にしたことはある曲ばかりだが、すぐに曲名が解かったのは、スメタナの「モルダウ」ぐらい。
「生命の木」を表すには、これらの場面が必要だ、とテレンス・マリックは考えたのであろう。人は如何に生きるべきか、また、人生とは、ということを描くには。
人間とは、人が生きるとは、という重いテーマである。しかし、物語自体は、単純だ。父と子の物語。

初めに、「生き方には2つある。 世俗に生きるか、神に委ねるか」、という問いかけがある。
テキサスの小さな町で、夫婦と3人の男の子が暮らしている。その成長物語。夫婦は、共に、敬虔なクリスチャンだ。しかし、長男は、「父さんと母さんが、僕の中で争っている」、と考えている。何故か。
父親は息子にこう言う。「強い人間になれ。力こそが成功の道だ」、と。”2つの生き方”の”世俗に生きる”、を表している。慈愛に満ちた母親は、”神に委ねる”、となろう。
だから、長男は、悩み、父親に反発する。このようなこと、普通の家庭にはよくあること。ごく当たり前の家族の物語である。
長じて、息子は、近代的なビルの中を忙しげに動いている。彼は、父親が望んだ成功者となっている。子供の頃は、反発していた父親の。その彼(ショーン・ペンが扮する)が、幼い頃を振り返る。
人が生きるとはどういうことか、人生とは、と。
終わりは、希望、やすらぎだ。優しかった母親はもちろん、反発をしていた父親とも、一体の世界に入っているようだ。この終わりの方も、現実ばなれした映像が続く。とは言っても、SF的ではない。まったく逆、人間の魂の世界。キリスト教の神の世界、かもしれない。
それにしても、不思議な映画である。面白かったか、と言われれば、そうとも言えるし、そうでないとも言える。単純な物語であり、解かり難い物語でもある。
ただひとつ。「人生は、瞬く間に過ぎ去る」、ということだけは、確かなこと。