生き残る道。

国土は狭い。人口も少ない。おまけに、南はインド、北は中国、というバカデカイ国に挟まれている。
どちらも、バカデカイばかりじゃなく、油断のならない国だ。兄貴風を吹かせるくらいは我慢もするが、親父面をして、なんだかんだ、と言ってくる。昔っから。シャクではあるが、仕方がない。オレたち、ブータンが生き残るには、どうすればいいのか。
何よりも心すべきは、シッキムの二の舞だけは避けなければならない、ということだったであろう。
暫く前まで、ブータンの西隣りに、シッキム王国という小さな国があった。そのシッキム、1975年にインドへ併合された。国内のゴタゴタに乗じて。表向きは、シッキムからの要請によって、となっているが。
「そうだ。世界に知らしめるブータンのアイデンティティーを作ろう。世界基準とは別の何かを作ろう。それを国の基本理念としよう」、おそらく、先代の国王、こう考えたのに違いない。
そこで生まれたのが、GNPならぬ、GNH、グロス・ナショナル・ハッピネス、という独自の基準。国民総生産を競うのではなく、国民総幸福量を図っていく、という考え方。40年ほど前のことだ。それ以来、ブータンといえば、GNHが出てくる。
数日前、そのブータンの現国王が結婚し、一昨日、NHKの国際ニュースで、「近代化に揺れるブータン」というレポートが流された。

国王、31歳。王妃、21歳。お似合いのカップルだ。
国王は、アメリカとイギリスで教育を受けている。チャーミングな王妃も、つい先日まで、イギリスの大学で学んでいたそうだ。おそらく、王妃となるために、学校は中退し戻ってきたのであろう。
南アジアの国々の上流階級の子弟、大学はインドかイギリスの学校へ行くケースが多い。新しい王妃は、一足飛びにイギリスの大学へ。一般家庭の子女とはいっても、相当な家庭のお嬢さんに違いない。

これが、GNH・国民総幸福量の基となる9項目。
NHKの画面に出てきた大学教授、こう言っていた。「2〜3年に一度、国民に聞き取り調査をしている」、と。「国民の95〜6%の人が、幸福だ、と答えている」、とも。
ブータンの先代の国王は、英明な国王として知られていた。私も、シャープな頭の王さまだな、と思っていた。GNHにしろ、オリンピックの開会式には、ドテラの裾を短くしたような民族衣装の「ゴ」で入場行進するなど、小国ブータンの存在感を世界に知らしめていた。
しかし、それと共に、GNHの発想の根底には、今後、如何に王制を維持するか、という腐心のあとが見えるな、とも思っていた。
GNH、という考え方、おしなべて肯定的に取りあげられている。一昨日のNHKに出てきた大学教授も、そのようだった。ギスギスとしない牧歌的な国・ブータン、と捉えている人も多い。
しかし、実は私、果たして、そうかな、とも思っていた。

ブータンの首都・ティンプーの町中。とてもキレイ。清潔である。
インド世界では、驚くほど清潔である。インドでもネパールでも、町の中、ゴミゴミしているのが通常だ。カトマンドゥの町中など、ゴミゴミしている上に埃っぽい。中心部でも、砂煙が舞っている。
実は、私、インドやネパールには何度も行ったが、ブータンには行ったことがない。
一見、牧歌的なGNHに、やや疑問を感じていたこともある。それ以上に、美しいブータン、清潔なブータン、牧歌的なブータンに、何かインド的ではないな、という思いがあったから。チベットやインドの影響を、イヤというほど受けているのに、どこかそれらしくない。優等生のようなんだ。
だから。

それはそれとして、そうは言っても、ブータン、観光産業にも力を入れている。
こういう1泊1000ドルも2000ドルもする、という高級ホテルもどんどん造っているようだ。経済原則の世界だ。インドにもネパールにも、高級どころか、超高級ホテルはある。しかし、それと共に、1泊2〜3ドル、という宿もある。ブータン、インド世界の中にあり、その点、少し違うところがある。これも、生き延びる道ではあろうが。

ブータン、イヤでも近代化の波が押し寄せている。
この二人の若い女性は、ある程度の教育は受けているもの、と思われる。でも、仕事につくのは大変なようだ。近代化により、地方から首都のティンプーに出てきた人など、もっと厳しい。毎日、不安でいっぱいです、と話している人もいる。

ブータン、2008年に普通選挙を実施、憲法も制定、立憲君主国となった。
ラブラブの若い国王夫妻、来月、日本へお出でになるようだが、その肩には、重い責任が乗っている。
中国とインド、というドデカイ国に挟まれて生き延びなくてはならない上に、イヤでも押し寄せる近代化の波にも、抗していかなければならないのだから。
シャープな頭の先代国王が編み出した、GNHだけでは、応じきれまい。