駄作だが。

力作は、昨日までにすべて載せた。だが、あとひとつ残っている。私の駄作が。
10日ほど前、空海の曼荼羅がらみで載せた私の曼荼羅は、前々回の出品作。それ以前も、似たようなもの。前回展には、ムンバイ・テロをテーマとしたものと、何やらよく解からぬものを出品した。
今回は、今までとガラリと変えたものを出品した。小学校の図画の時間のような風景画。もちろん、小学生の方が上手だが。
私たちのグループ展、古い仲間の飲み会の延長として始まったものである。しかし、回を重ねるにつれ、当初の趣旨を忘れ、リキが入った作品を出すヤツが多くなった。力作ぞろいになってきた。”参加することに意味がある”、というオリンピック精神を、今なお厳格に護っているのは、私ぐらいになっちゃった。困ったものだが、まあ、それはそれでいい。
この程度の前振りをしておかないと、私の駄作、載せにくい。
で、今回の出品作は、これ。

タイトルは、4点とも同じ。「日常」。便宜上、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、としてあるが。中央の2点は、F15。両側の2点は、F20。いずれも、カンバスにアクリル。
この4点、いずれもインド世界でよく見かける光景である。ごく普通の光景。だから、「日常」。
インド、不思議な国である。
若いころから、インドへの憧れがあった。しかし、なかなか行けなかった。初めて行った時は、40半ばになっていた。25年ほど前のことである。
深夜、デリーの空港に降りた時には驚いた。空港を出た途端、いくつものギラギラ光るものに囲まれた。暗闇の中で光っているのは、毛布のようなボロを纏った、インドの人の目であった。
今、インドは、大国である。核保有国にもなった。BRICsの一員と言われて久しい。そのような国になるとは、そのころは思わなかった。いや、思えなかった。
その後、3年に一度くらい行くようになり、都合、7度訪れた。10年ちょっと前から、インドの様子、変わってきた。核兵器も持ったが、それ以上に、だんだん経済発展著しい国になっていった。
私の方も変わっていった。初めの頃は、ひとり旅をしていたが、その内、ガイドの付くグループでの旅になっていった。インドひとり旅が、だんだんキツくなってきたんだ。肉体的にも、精神的にも。
3年前には、ひとり旅ではあったが、私ひとりに荷物持ちを兼ねたガイド、それに、車の運転手付き、という何とも軟弱な旅をした。人のコストの安いインドであるからこそできることだが。
だから、写真をいっぱい撮った。今回の出品作、その時に撮った写真をもとに描いたもの。

インドの経済成長率、年率8%前後で推移している。中国を追っている。だから、都市部を中心に、中間層が増えている。
インド社会、元々、ほんの一握りの大金持ち(日本では考えられないくらいの)と、僅かな中間層、そして、大部分を占める貧困層(1日、1ドル以下での暮らし、というこれも日本では考えられないほどの人も多い)とで構成されていた。
しかし、経済の成長に伴い、中間所得層が増えていく。そして、今、中間所得層が、3割前後になっている。12億近い人口のインド、その3割前後は、3〜4億人に相当する。GDPの伸び率が凄いのも当然だ。
IMFだったかどこだったか、その予測数値、3〜40年後のGDPの世界ランキングは、1位、中国、2位、アメリカ、3位、インド、となっていた。中間層比率、高まっていくだろう。
しかし、私には、今後、いかにインドが経済大国になっていこうとも、そのほとんどが中間層、という今の先進諸国のようにはならないであろう、と思われる。もっとも、アメリカにしろ日本にしろ、その国内での経済格差、問題を孕んではいるが。
それとは別に、インド特有の問題がある。いかに経済が成長しても、ほとんどが中間層になり得ない、という問題が。カーストの問題、今なお、厳然として残っている。
上の作品、ニューデリーの国立博物館の側の広場で、落ち葉を箒で掃いている人を描いた。
サリーを着て、落ち葉を掃いている二人の女性、おそらく、低カーストの人である。
いつか、カルカッタのホテルで私のバゲッジを運んでくれた初老の男、こういうことを言っていた。「私は、30年間、ずっとお客のバゲッジを運んでいる」、と。日本では、考えられないことであろう。日本では、ルームボーイから何になり、さらに、何になり、とそのポスト上がっていくのじゃないか。
しかし、インドでは生涯同じ仕事、同じ仕事内容、ということが生きている。たしかに、カーストの壁、崩れてはいる。しかし、それはまだ一部。IT企業や先端企業での話。これは、実力次第、となっているようだ。
しかし、一般のインド社会では、まだまだカースト、生き続けている。日常風景の中に。

この作品のみ、ネパールのカトマンドゥの日常。
インドに行く折り、時にはカトマンドゥへも行く。3年前にも、半月ほどの旅の間、途中4〜5日カトマンドゥへも寄った。
ネパール、3年前に王制が廃止されたが、これは、旧王宮前広場(ダルバール広場)の光景である。さまざまな寺院が立ち並ぶ。その外壁、階段状になっているものが多い。
この足許まで達する長い白髪のジイさん、その階段に座っていた。サドゥー(行者)である。4〜5歳か、と思われる隣りの子供は、ジイさんの連れかどうか、解からない。

インドは、多人種、多言語、多宗教の国である。
もちろん、ヒンドゥー教徒が8割以上を占める。しかし、ムスリム(イスラム教徒)も13〜4%いる。人口比率から見れば、1億6〜7000万人となる。だから、イスラムのモスク(お寺)が、あちこちにある。概ね、異教徒でも入ることができる。
ムスリム、1日に5回の礼拝をする。見ていると、次々とモスクに人が入ってきて、お祈りをしている。なお、この絵の右の方が、メッカの方角である。そのメッカのカーバ神殿に向かってお祈りをする。
ムスリムの人たち、みな帽子のようなものを被っている。ターバンのようなものを巻いている人もいる。中には、正ちゃん帽のようなものを被っている人もいる。時には、被っていない人もいるが。
ところで、G20などでお馴染みの、今のインドの首相・マルモハン・シンもターバンを巻いている。マルモハン・シンは、シーク教徒である。彼の巻いているターバンは、シーク教徒のターバンだ。
シーク教徒は、髪を切らない。だから、ターバンを取ると凄い。長い髪が出てくる。長い長い髪が、ターバンの中に巻きこまれているんだ。マルモハン・シンの髪も、そうだろう。
少し横道に逸れたが、ムスリムのターバン、シーク教徒のターバン、ターバンもさまざまだ。
脱線ついでに、あとひとつ。
インドは、お釈迦さまの生まれたところだ。しかし、今、インドの仏教徒は少ない。1%もいない。
私が、初めてインドへ行った頃には、0.5%程度しかいなかった。今は、それよりは増えているようだ。カーストの差別に苦しむ人たちが、ヒンドゥーから、差別意識のない仏教へ改宗しているからだ。
インドの憲法は、世界で最も民主的な憲法だ、と言われている。そのインド憲法の起草者は、最下層カースト出身のアンベードガル。そのアンベードガルも、仏教へ改宗している。
日本人のお坊さんも、活動している。私も、そのような日本人僧に、何度か会った。皆さま、インドの貧困対策に打ち込んでいた。

バラナシ(日本では、ベナレスと呼ばれることが多いが)は、大河ガンガー(ガンジス河)の中流にある、ヒンドゥーの聖地中の聖地である。
ヒンドゥー教徒は、バラナシで沐浴することを、一生の願いとしている。バラナシのガンガーの流域には、多くのガート(沐浴場)がある。ガートには、さまざまなガートがある。
沐浴するためのガート。船が出入りするためのガート。一日中、人の死体を荼毘に付しているガートもある。そのガートからは、絶えることなく、白い煙が立ち昇っている。
この絵のガートは、舟が行き来するガート。手漕ぎの舟が行き来する河の中に、身体中、白く塗った男が立っている。大きな松明を持って。火は、ボウボウと燃え盛っている。この男は、何者か。彼も、サドゥー(行者)である。ヒンドゥーのサドゥー。
しかし、いかにヒンドゥーのサドゥーであるとはいえ、舟が行きかう大河・ガンガーの中に立つことなどできるのか。不思議に思われるであろう。私も、そうである。いかに修業をつんだサドゥー(行者)とはいえ、深い水の上に立ったり、空を飛んだりはできない。
これは、私の創作。地上にいたサドゥー(行者)を、河の中に立たせた。しかし、地上にいようと、水の上にいようと、これもまた、インドの日常である。
私の駄作は、作品についてではなく、インドについてになってしまった。
敢えて加えるなら、「街なか模様」のテクニシャン・H.I.、こういうことを言ってくれた。「そのものを、そのものとして描かないところに味がある」、と。ウーン、ものは、言いようだな。
しかし、美術の専門家のK.Y.は、こう言った。「こんなに赤っぽい色が多いのは、齢をとった証拠だ」、と。それに対し、臨床心理学の専門家であるK.S.は、こう言った。「そんなことはない。まだ若い証拠よ」、と。
けなすにしろ、慰めてくれるにしろ、ありがたいものである。それでこそ、仲間。飲み会の延長の。
それにしてもインド、あと一度くらいは行きたいな。
朝は、遅く起きる。新聞を読みながら、ユックリと朝飯を食い、昼近くに街中に出てぶらつき、夜はホテルのバーで一杯やる。インドならば、様になる。