力作瞥見(2)。

今日は、木版画の力作。

K.O.の作品。左は、「森のはなし」。右は、「八月の月」。
サイズは2点共、80cmX110cm。木版画としては大きい。紙は、通常の鳥の子。
共に、黒っぽく見える。しかし、その技法は、異なる。
左の作品は、伝統的な木版画。凸版だ。
インキは、水彩絵の具。5版刷り。スミだけでも3版かけているそうだ。
さすれば、右の作品は、何版か。微妙な色調を感じる。K.O.に聞いた。実は、1版だそうである。つまり、1色。
インキは、油絵の具。黒にブルーを混ぜ、ひとつの色を作りだす。その1色。
だから、全体黒っぽいのだが、隠された青も感じられる。グラデーションがかかっているようなところは、ニスで調整しているそうだ。それ故、ひと色しか使っていないにかかわらず、深みを感じるんだな。

私は、1版1色のこの作品に惹かれた。
木版画、通常は凸版だ。しかし、実は、この作品、凹版だと言う。銅板のエッチングなどと同じ凹版。木版凹版だ。
版木に絵の具を塗った後、それを拭き取る。色は、版木の凹みに残る。沁みこむ。それを刷る。永く木版画に取り組んでいるK.O.、そのテクニックには定評がある。前回展にも来て、今回も見に来てくれた私の知人、K.O.の名と作品を観て、この人のことは憶えている、と話していた。力作、という言葉の範疇を超えたものだ。凄い。
もっとも、何日か前にK.O.、こういうことも言っていた。「版画を見て、その技法がどうこう、と言われるのは、あまりいいことではないんだが」、というようなことを。技法やテクニックよりも、作品そのものを見てくれ、ということだろう。
もちろん、そうだ。K.O.の木版画、ファンが多い。作品そのものが、静謐な美を湛えている。しかし、どうしても、そのテクニックの凄さにも眼がいく。少し脱線するが、毎年のK.O.の年賀状など、そのテクニックの凄さといったらない。文字もすべて木版。惚れ惚れする技術を持っている。
絵の世界、”アーティストとアルチザン”、ということがしばしば言われる。アーティストかアルチザンか、という意味合いで使われることが多い。プロ、アマを問わず、大抵の絵描き、オレは芸術家で、職人ではない、と言う人が多い。二者択一で考えてしまうからだ。
しかし、アーティストであり、職人芸にも優れている、という人もいる。K.O.、それにあたる。

ただ、残念ながら、版画作品、額にガラスが入っているので、どうしても正面から撮ると、周りのものが映りこむ。
で、映りこみの少ないところだけを取り出した。凄いじゃないか。これが、1版。
そう言えば、K.O.、こういうことも言っていた。
大震災の後、版木のシナベニアが、極端な品不足になった、と。大震災の傷跡、あちこちに顕れている。

S.S.の作品。タイトルは、左から、「ボート乗り場」、「池の鯉」、「自画像 野球スタイル」。通常のというか、伝統的な木版画。凸版だ。
真ん中の「池の鯉」には、顔が描かれている。S.S.、こういうことを言っていた。
「この顔は、ひと月ちょっと前、ドジョウと称して登場した我々の後輩の顔に似せた」、と。そう言われれば、似ていなくもない。しかし、今、ご苦労な役目をしているドジョウは、私たちと同じサークルではない。このこと、国民にとっては幸いである。ドジョウでさえ、”アイツに任せて大丈夫か”、なんて思っている国民が多いのだから。
それはさておき、S.S.の力作は、これである。

S.S.の「自画像」だ。
私ごときが、どうこう言えるものではないが、残念ながら、私には言葉の持ち合せが少ない。だが、捻り出す。
素朴派には違いない。アンリ・ルソーとまでは言わないが、「週刊新潮」のかっての表紙絵、谷内六郎を思い出す。ドジョウの作品もそうだが、どこかほのぼのとした温かみを感じさせる。何より、”野球スタイル”、力強い。力作だ。
そうだ、野球の話をしよう。
S.S.、野球の選手なんだ。もちろん、プロではない。学校を出た後、一流企業に勤めた。そこをリタイアした後、野球選手となった。
リタイア直後は、少年野球のコーチをしていた。いつか、デカイ車に乗せてもらったことがある。仲間内の者も多く乗せ。伊東の池田20世紀美術館から帰る時。去年急死した島谷晃の大きな展覧会を観に行った帰りだった。そのデカイ車に、野球少年たちを乗せて球場まで運んでいるんだ、と言っていた。
寄り道をしちゃったが、自らがプレイヤーになったのは、その後らしい。
”東京都軟式野球還暦リーグ”、というものがあるそうだ。今、64チームあるらしい。ポジションはどこか、聞いた。ファーストかライト、と答える。ファーストかライトということは、どのチームでも、強打者のポジションだ。
S.S.の作品の”野球スタイル”、スウィングをしているポーズである意味、これでよく解かる。身体のデカイS.S.、スラッガー、ホームランバッターであったのであろう。
しかし、好事魔多し、足をケガした、という。その後は、一塁コーチをしているそうだ。早くケガが治り、また、還暦リーグのバッターボックスに立つことを祈る。
しかし、この木版画から見れば、2年前が67歳。今年は、もう70近い。70を超えれば、グランドシニアとなる、という。グランドシニアのスラッガーとして、カンバックする日も近い。
リタイアした後、学生に戻った私、今日は新学期の初日であった。若い学生たちの新学期は、ひと月ほど前に始まっているが、シニアの学生の新学期は、今日からだ。だから、今日は学校へ行き、文房堂へは行かなかった。
それ故、飲み会はなかったのだが、ひとりで飲みながらパソコンのキーを打っている内に、どうも酔ってきてしまったようだ。
力作の話、野球の話になってしまった。まあ、いいか。