シャンハイ。

映画『シャンハイ』の舞台は、太平洋戦争前夜、1941年の上海。日中戦争が始まってから4年余、日本軍は、中国各地へ侵攻、上海も日本の占領下にある。
『シャンハイ』、米中日の合作映画。監督は、ミカエル・ハフストローム。渡辺謙、コン・リーはじめ役者陣も、日中米。

眠れる獅子・清(中国)、アヘン戦争で敗れる。上海には、イギリス、フランス、アメリカはじめ欧米列強の租界が、次々にできる。遅れてきた軍国・日本も租界を持つ。中国にあって中国ではない地。治外法権の地。大戦前夜の上海、そういう状況下にある。しかも、日本軍の占領下。

大戦前の上海に、アメリカの諜報部員・ポールが降りたつ。殺された米諜報部員が、何を掴んでいたかを探るため。
英米日中、さまざまな陰謀渦巻く上海。アメリカの諜報部員・ポールは、そこでさまざまな人と接触する。表の顔は手広く商売を行なっているが、裏の顔は闇社会の顔役である中国人・ランティン。妖艶なその妻・アンナ。そして、冷徹な日本軍情報大佐・タナカ。
このコピーに、「そこは、愛が命取りになる街」、とある。
アメリカの諜報部員・ポール、闇社会の顔役の妻・アンナを恋するようになる。これも愛。殺されたアメリカの諜報部員と日本人娼婦、その娼婦と冷徹な日本軍大佐・タナカ、この間にも愛があるようだ。闇社会の顔役の、その妻に対する純な愛もある。
さまざまな愛が、描かれているように見える。しかし、この映画、ラブロマンスではない。サスペンスだ。いや、そうでもない。ある種の戦争映画だな。鉄砲が、滅多やたらぶっ放される。
日本の兵隊、滅多やたらに鉄砲を打つ。抗日のレジスタンスを、そして、普通の中国人を殺す。如何に何でも、そこまでやったか、とも思う。しかし、昭和の戦争を告発している江成常夫なら、きっと、そうであったに違いない、と言うのではないか。日本軍、日本人、徹底的に悪者に描かれる。
日本人が悪者に描かれているのには、やや気が滅入る。しかし、魔都・上海、しかも、日本軍の占領下、その雰囲気はよく出ている。租界の模様など、かくありなん、という感じ。興味深い映像だ。
気が滅入るが、エンターテインメント映画としては、面白い。

この映画、日中米の役者の競演だが、冷徹な日本軍情報大佐に扮した渡辺謙がいい。
今、外国の役者と対等で渡り合えるのは、彼を措いていないのじゃないか。

そして、何よりコン・リーだ。
裏社会の顔役の妻・アンナに扮している。しかし、実は、この女、抗日レジスタンスのリーダーなんだ。彼女に惚れるアメリカの諜報部員・ポールも、抗日レジスタンスを追いつめる冷徹な日本軍情報大佐・タナカも、最後には、彼女・アンナの正体を見破る。しかし、それでも尚且つ・・・・・、と映画は展開していく。
深いスリットのチャイナドレスで、カジノの階段を下りてくる姿もいい。だが、そうような直截な姿ばかりでなく、何気ない仕草の中に、ゾクッとする美しさがある。妖艶という言葉、コン・リーのためにある、と思われるくらい。

外灘(ワイタン)、バンドの夜景だ。
この外灘(ワイタン)、バンドの夜景だけは、昔も今も、変わらない。
初めて上海へ行ったのは、20年ほど前。旧日本租界のあたり、戦前の魔都の残り香、微かに残っていた。その後、何度か行った。行く度に、上海の町の様子、変わっていった。あちこちに青いシートが掛かっていた時もあった。常に動いている。力強さを感じる町だ。
欧米列強に、そして、日本に、さんざん叩かれ、踏んづけられたから、その強さ弥増している、と思える。
『シャンハイ』、日本人として、気分のいい映画ではないが、戦前の魔都・上海の匂いが立ちこめる面白い映画ではあった。