姥は、したたか。

男より女が強いこと、何もサッカーに限らない。元始より変わらぬ摂理だ。姥ともなれば、まして、したたか。

『デンデラ』、原作は佐藤友哉、脚色、監督は天願大介。棄老伝説の一範疇か。
佐藤友哉という人、初めて知った。もちろん、読んだことはない。若い世代に広く読まれている作家だそうだ。天願大介は、今村昌平の息子。親父は、棄老伝説を、受容する哀しさを静的に撮り、息子は、その一側面を、反逆する強さを動的に撮った。

雪深いある寒村。70歳を迎えた斎藤カユは、息子に背負われお参り場に行く。深沢七郎著『楢山節考』のおりんと同じ状況。口減らしである。しかし、極楽浄土へ行く、という建前はある。棄老伝説譚、それ故哀しい。しかーし、だ。
その前に、この顔ぶれを見てちょうだい。
かってメーンを張った女優がずらり。

こういう人たち。
主役の浅丘ルリ子も71歳。草笛光子は80近い。他の皆さまも70近い人たちばかり。すべて、かってのイイ女。
それはそれとして、

浅丘ルリ子扮する斎藤カユ、雪深い山中へ捨てられたのだが、ふと気づくと生きている。周りに人がいる。女ばかり。すべて、70歳になった時に捨てられた女ばかり。見知った顔もある。
捨てられた女ばかりの共同体。率いるのは、30年前に捨てられ、今年100歳になる三ツ屋メイ。最年長の草笛光子が扮する。
バアさまばかりの共同体、それまでの構成員は49人。新参の斎藤カユが来たので50人になる。機は熟した。リーダーの三ツ屋メイ、自分たちを捨てた村への復讐を企てる。
パワフルなんだ、姥たちは。もちろん、内部対立もあることはある。しかし、パワフル。いかに生くべきか、という議論もまき起こるのだから。
人喰い熊との凄絶な闘いも起こる。しかし、そんなことはどうでもよろし。ともかく、姥は、したたかなんだ、ということだけで。
しかし、バアさまばかりが元気溌剌で、ジイさまはどうなんだ、という疑問も湧き起こる。『楢山節考』の又やんのように、ジジイは情けないのではあるが。それにしても、だ。
デンデラ、本来、男女問わずであったはず。
デンデラ、柳田國男の『遠野物語』に何か所か登場する。
『遠野物語』111には、このように。
<昔は六十を超えたる老人はすべて此蓮台野へ追ひ遣るの習ありき。老人は徒に死んで了ふならぬことも故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり>、と。
この”蓮台野”が、デンデラ野のこと。『遠野物語拾遺』の266と268では、デンデラ野と記している。
いずれにしろ、デンデラ、男女を問わずなんだ。柳田國男が『遠野物語』を書いたころは。
それが、男は何処かへ吹き飛んじゃった。バアさまとはいえ、女だけが残った。
今の時代を表わしているんじゃないか。