手紙。

我が道を行く人から久しぶりの手紙をもらい、半月以上になる。
いつものように、何十年も前、航空便を出す時に使っていた薄いパラフィン紙のようなものに、几帳面に書いてある。5枚に渉りビッシリと。
返事を書かねばなー、と思いながら、なかなか実行に移せない。今月、グターとしていたこともあるが、何よりも、返事を書きにくい。
何しろ、”暑い日が続いているが、冷房の室外機は、カバーをかけたままにしています。朝、昼、晩、一日3回、冷水を頭からかぶって、団扇にランニングにパンツ一丁が、一番の消夏法です”。こういうことが、手紙の初めに書かれている。かなわない。
パソコンなどやらない。テレビはあるが、ほとんど見ない。ラジオもあるが、早朝の語学講座以外、何を聴いた、ということは聞いたことがない。30年以上、映画を観ない。そう、何度か触れたことがある”我が道を行く人”だ。
スキー、バイク、山登り、カヤック、さまざまなスポーツに打ちこんでいたこの人、今は、カヌー用語でいう”傍流”に人知れず漂っているアメンボのよう、と書いてある。
ステレオ、LPレコード、カメラ器材、暗室用具一式、スキー用具、(カヤックは貰い手がありました)、これらをいかに処分すべきかを考えているそうだ。近頃では、神聖視していた書物までも、とも。
これからは、increaseに非ず、いかにdecreaseするにあるかだと思います、とも。体育会系であったこの人、ある時から急に英語を学びはじめたのには驚いた。だから、手紙にも横文字が多く出てくる。増やすのではなく、いかに減らしていくか、ということのよう。今では、原書を次々に読みこなすのを楽しみとしているようだ。
それはいい。だが、こういうことも書いてある。
”検診は一度も受けたことがありません。病気は運不運ではなく、本人の積年の生き方の結果である。したがって、病気は己の自己責任である、というのが私の持論です”、ということが。
私にとっては、頭のイタイ言葉。何しろ、永年、いいということは何もせず、不節制なことばかりしているのだから。だから、少しの暑さでも、熱中症もどきの状態になってしまう。自己責任は、受け入れるにしても。
やること為すこと、考え方、何から何まで私とは対極にある。しかし、付き合いは40年近くになる。気が合うのかな、正反対だから、かえって。だが、返事は、いつも書きにくい。
私の友だち、変わった人も幾らかはいる。この人もその一人。
第一、今どき、手紙だもの。手紙は来る。しかし、今来る手紙のほとんどは、案内状であったり、何らかの通知であったりが普通。いわゆる手紙、信書、書状の類いは、まあ稀だもの。
今日、やっと返事を出した。もちろん、手紙。