そろり。

さほど離れていないところに、アジサイの寺がある。先月下旬、そろそろ行かねば、と思っていたが、体調を崩し、行くことは叶わなかった。医者以外、ほとんど外へ出ない日常を続けているので、仕方がない。
いつの間にか、梅雨も明けた。で、3週間以上前、まだ雨の降っているころ撮った写真を載せる。
近場のコーヒー屋へ行く途中で見かけたガクアジサイ。道端の民家の低い塀の外側に、ひと株だけ植わっていた。

細かい雨が降っていたが、それもすぐに上がった。小ぶりな家の外に、鮮やかに彩られたガクアジサイがあった。ひと株のみ。

紫陽花の彩りも捨て難いが、額紫陽花のそれは、より変化に富む。その花の色、このような色調もあれば・・・・・

このような彩りの花もある。

より近づくと、小さな花、ブルーベリーのように見える。

この株の装飾花は、淡いピンク。ひと株しかないので、その点変化に乏しい。その萼片、4弁が多いが、5弁もある。しかし、よく見ると、左手のほうには3弁のものもある。
雨は、上がったばかり。4弁であれ、5弁であれ、3弁であれ、萼片・装飾花には、大粒の雨滴が留まっている。

今にも、こぼれ落ちそうな風情で。

額紫陽花、本来の花を取り囲む萼片・装飾花が、額のように見えるところから名づけられた、という。しかし、何とも味気ない、工夫のない命名じゃないか。即物的に過ぎる。何よりも、華がない。
この微妙な色調と形態を持つ花に対し、礼を失している。今さらではであるが。
で、どなたかは知らないが、せめてもの償いに、「額の花」という言葉を編みだしたのであろう。
     僧恋うて僧の憎しや額の花     橋本多佳子
坊主ならずとも、勝手に恋い焦がれられ、その思いが叶わぬとなるや、勝手に憎まれては、迷惑ではあろう。美形の僧・安珍、怒りに燃える清姫に、道成寺の鐘もろとも焼き殺された。美形の男も、辛いんだ。
しかし、この世の中、そういう男は、まあ、いない。大方の男は、その対極にある。殺されるのはイヤだが、恋い焦がれられる身にはなりたいものだ、と思っている男は、大勢いるだろう。安珍、お前は何という、と思う男が。
額紫陽花、いや、額の花、そういう花。