写楽(続き×6)。


昨日、「写楽、これでオシマイ」、と書いた。が、忘れ物をしちゃった。で、”続き”、もう1日だけ続ける。
昨日、お終いのほうで、つい、向井万起男の常套句に触れちゃったのがいけなかった。いつの間にか、横道に入って行ってしまった。で、触れようと思っていたこと、コロッと忘れてしまった。瀬木慎一のことだ。
瀬木慎一の名、専門家や研究者と言われる人たちの書に、案外出てくる。どうも、写楽に特化した人や、浮世絵を専門とする人たちから見ると、現代美術も含め、欧米の美術にも詳しい瀬木慎一の言うこと、客観性を持つ、と思っているのだな、と考えられる。
松本清張なども、瀬木の名を出している。誰だったか忘れたが、瀬木慎一は、欧米の美術館にある写楽のこれというものは、ほとんど見ているようだ、と言っている人もいた。写楽や浮世絵の専門家、瀬木慎一は、自分たちとは別角度から写楽を追っているのだな、と思っているのだろう。
瀬木慎一、美術評論家である。だから、中野三敏が、”この世界、人文系の学界の連中はどうこう”、と憤懣やるかたない人たちとは、その立場、少し異なる。学者にしろ、在野の研究者にしろ、それらの専門家とは、少し異なる立位置、と受け取られていた、と思われる。だから、案外、瀬木の名が出てくるんだ。
ついでながら、その瀬木慎一、この3月に死んだ。同じ3月には、中原佑介も死んだ。1年前には、針生一郎が死んだ。5〜6年前には、東野芳明が死んだ。
この4人、1960年代以降の美術評論を引っぱった、いわば、その頃の新しい美術評論の4人組だ。いずれも、1930年前後の生まれ、丁度、死に頃になったんだ。
それはともかく、彼ら、ポップアートにしろ何にしろ、欧米から入ってくる新しいアートの先兵として、その先生役を務めていた。欧米の新しい動きをいち早く掴み。
向うの雑誌や何かで読んで、それを紹介しているに過ぎないじゃないか、という声もあったが、当時の若い連中にとっては、それもまた、面白かったんだ。
誰であったか忘れたが、この3月、瀬木慎一と中原佑介が相ついで死んだ時、それ以前の、東野芳明と針生一郎の死と合わせ、これで、美術評論のひとつの時代が終わった、と新聞に書いていた。
美術評論という小さな世界、世間一般から言えば、「ひとつの時代が終わった」は、やや大袈裟とも取れようが、ひとつの時代、終わったんだ、やはり。松本清張が、”美術評論家の書くものは、何やらわけの解からぬ抽象的な言葉で、煙に巻いている”、と言っている、何やら解かり難いことも書いていたが。
松本清張の言うこと、確かにそういうことはある。一理はある。しかし、考えてみるに、美術というもの、ラーメンやユニクロのシャツとは、違う。ンッ、せめて、1つ星のフレンチやヨージ・ヤマモトのシャツとは、とスラッと打ちたいところだが、指は正直だ。私の日常の生活を自然に打ってしまうな。
それはともかくとして、美術などというもの、人間生きていく上で、絶対不可欠なものじゃない。アートなどなくとも生きていける。
ギューちゃんは、絵を描かないオレは、ただの東洋人のジジイにすぎない。生きていくに、30セントのインスタントラーメンを食っても、ひと月30ドル(あれは、24年前の話。今なら、100ドル近くはかかるだろう)でやれる、と言っていたが。ン、何言ってんだ、私。そうだ、ギューちゃんでさえ、生きるためには食うことが必要だ、ということなんだ。
美術などは、あってもなくてもいい。生きていくに、不自由しない。ましてや、美術評論なんてものは、なくったっていいものなんだ。しかし、それだからこそ、美術評論というもの、解かりやすくなくてもいいのだ。万人のためになるラーメンやユニクロのシャツとは、対極のものであっていい。難しくても、解かり難くてもいいものなんだ。
何年か前、友人の美術評論家・H(私のブログにたまに出てくる、大酒飲みで、草木のことにヤケに詳しいHとは別人)と話している時、言ったことがある。難しいな、と。Hの書くものも、解かり難かったり、難しい言葉がいっぱい出てくるんだ。
H、こう言った。「ボクらの世界、職業語というか、業界用語というか、そういうものがあるんだ」、と。私は、納得した。どのような世界にも、その世界特有の業界用語はある。ましてや、ラーメンやユニクロとは、対極の位置にある美術評論の世界、難しくて当たり前だ、と。
第一、美術評論などを読むヤツは、若い連中だ。若い連中には、難しければ難しいほど、解かり難ければ解かり難いほど、いい。頭が固くなり、脳みそが退化した年寄りは、美術評論など、まあ、読まない。故にだ、美術評論、解かり難くて、それでいいのだ。赤塚不二夫だ。
アレレッ、瀬木慎一について書いているうちに、どうも、おかしなほうにいってしまったようだ。
ついでながら、って、瀬木が死んだことを書いたところからかな。それとも、そこまではよく、松本清張が、美術評論家の書くものは・・・・・、というところあたりからかな。
いずれにしろ、瀬木慎一と写楽に戻る。

薄いが大判の平凡社ギャラリーの第6巻『写楽』(昭和48年、平凡社刊)の解説で、瀬木慎一、こう書いている。タイトルは、「早すぎたリアリズム」。
『浮世絵類考』やユリウス・クルトに触れた後、瀬木、こう記している。
<写楽の不明な経歴をめぐって、現在もなお、多くの人がさまざまの推理をおこなっているが、いずれも実証的資料を欠いていて納得がいかず、わたしとしては、その作品の発揮する強烈な独自性を大いに認識して、写楽は写楽であり、写楽以外のなにものでもないと心から信じるものである>、と。
昭和48年といえば、中野三敏が、『江戸方角分』を分析した結果を発表し、写楽を特定する前であるが、写楽は写楽、確かに、そうである。
写楽が、誰であろうと、写楽は写楽。
昨日の忘れもの、これで、オシマイ。