たけし。

蔡國強を訪ねた「たけしアート☆ビート」には、北野武の絵も、いくらか出てきた。
実は、蔡國強の作品「垂れて死んでいく向日葵」にも、北野武が描いた個所がある。蔡が、「たけしさんも、何かヒマワリ描いてみる?」って言い、それに応じて、たけしが紙にマジックで描く。

たけし、ヒマワリのたてがみのライオンのようなものを描く。
このマジックで描いたところを残し、白いところをマスキングして、その上に火薬を仕掛ける。

と、マスキングをしていないところが、このように焦げて残る。昨日、一昨日の完成作品の左下のあたりにある。
蔡、「ちょうどいい」なんて面白がっていた。蔡も、たけしが絵描きでもあること、もちろん、承知だろう。

北野武、去年の3月、フランスの芸術文化勲章の最高章・コマンドゥールを授与された。
それに合わせ、ポンピドゥーセンターで3か月に渉り、北野武大回顧映画祭が催された。そればかりじゃなく、カルティエ現代美術財団の美術館で、たけしの絵と立体作品の展覧会が開かれた。何と、半年に渉る個展が。大盛況だったそうだ。
フランスという国、また、フランス人、北野武に滅法ヨワイ。
北野武は、凄い、特別なヤツだ、と思っている。たけしのやることなら、どんなことでも、恐れ入谷の鬼子母神、となる。
北野武、映画の世界では、巨匠の位置に近づきつつあるが、絵の世界でも、世界の絵描き列伝の一角に、と考えているのじゃないか。内心は。
10年ぐらい前には、「オイラの絵は、草野球と同じようなもので、草絵だよ」、なんてことを言っていたのだが。
たけしの野望、ヒョットすると、とも思うが、絵の世界ではそうもいかないだろう、と考える。例えば、これ。先日の「たけしアート☆ビート」の終わりのほうに出てきたもの。

北野武の映画『アキレスと亀』だ。
絵が好きな、というか、長じても碌なことはせず、絵を描いている男と、それを献身的に支えるカミさんとの夫婦愛の話。なかなか面白い映画だった。映画に出てくる絵、ほとんどが、たけしの作品だった。ピカソ風、デ・クーニング風、ポロック風、その他。主人公の名は、真知寿(マチス)だったな。


これも、『アキレスと亀』の中の一場面。
夜中に、夫婦で商店街のシャッターへいたずら描きに行き、本家、バスキア風の絵を描く。そうか、クツ屋のシャッターだったんだ。それより、しょうがない亭主についていく、カミさん役の樋口可南子は、よかったな。そんなことより・・・・・
もちろん、映画の中では、絵の好きな主人公・真知寿を表わすために、ピカソにしろ何にしろ、パロッている。それは、よく解かる。しかし、現実の北野武の絵も、それとの違いさほどある、とも思えない。北野武の作品、映像や印刷物の上でしか見たことはないのだが。

これも、NHKの番組で出てきたもの。
白髪一雄がロープにつかまり、足で描いた方式を、自転車のタイヤに置きかえたにすぎない。
絵なんて、真似ていい。すべての絵描き、先人の真似から始まる。絵描き個々人の独創性、オリジナリティーは、その中から生れてくる。産み出される。
問題は、それに説得性があるかどうか。先人を凌駕する破壊力を持つかどうか。これにかかる。
その点から考えるに、たけしの絵画作品、その映画作品に較べ、説得性も破壊力も感じられない。炯眼のカルティエ財団のキュレーターと違い、ただの節穴である私の眼には。