原発(続き)。

今、日本の電力供給は、7割近くを火力発電に依存している。
悪名高い二酸化炭素を排出する方式だ。2年前、ニューヨークの国連気候変動サミットで、鳩山由紀夫が2020年には、二酸化炭素を1990年比で25%削減する、と大見えを切ったもの。日本のトップ、1年毎に変わるので、その後どうなったのか知らないが。
次いで、原子力発電、これが23〜4%、水力発電が6〜7%。再生可能な自然エネルギーと言われるものは、わずか2〜3%だ。太陽光、風力、地熱、いずれもそこから得られる電力は、コンマ以下。
他の国同様、日本も原発を推進してきた。経済原則のひとつ、費用対効果の問題で。何しろ、原発の発電コスト、他のどの方式よりも安い、と言われていた。確かに、そう(太陽光発電のコストは、今、原発より低くなったそうだが、このこと、後述する)。
ただ、原発推進、「安全神話」のオブラートに包んでいた。国策を進める国もそう言うし、電力会社は巨大企業、その程度のことは、当然言う。しかし、いかに安全だと言うオブラートに包んでいたとはいえ、それを信用している人は、少なかったろう。
本当に安全なら、どうして原発は、福島県や青森県その他、田舎にばかり作ることがある。どうして、東京や大阪に作らないんだ、ということに。沖縄の米軍基地と同じ問題だと言えば、そうも言える。
少し横道に逸れる。
青森といえば、今度の日曜日に青森県の知事選がある。自民系の候補は、原発推進派。演説では、原発には触れていないらしいが。民主系の候補は、原発凍結と言ってるらしいが、どうも隠れ容認派。原発反対は、共産党の候補のみ。青森で共産党の候補が勝つワケがない。自民系の候補が勝つだろう。
莫大な交付金、雇用、地域経済の問題。悲しいかな、金の問題なんだ。信じてはいないが、無理をして「安全神話」を信じて、投票するだろう。
こんなことを書いてると、反原発派、と思われちゃうな。昨日も書いたように、私は、原発容認派である。
もちろん、原発の「安全神話」など信じてはいない。リスキーなものであること、重々承知である。また、東電はじめ各電力企業と、歴代の政府、野党、霞が関の官僚、東大、京大はじめ国立大学の学者、その他、日本を動かしている諸々の輩が結びついていることも知った上でののこと。その上での、容認派だ。
何故か。
経済原則が優先する日本、コストの安い原発しかないな、ということもある。物理的、地勢的なこともある。国土の狭い日本、平地が少ない。その平地には、家が多く立ち並び、空いているいるところは少ない。風力発電や地熱発電に適した土地は少ない。だから、残るのは、海流、潮力発電だだな、と思っている。
再生可能な自然エネルギー、いいには違いないが、仕方ないか、と思っていたら、ヘエー、というデータに突き当たった。
JREPP、日本自然エネルギー政策プラットフォームというところの「自然エネルギー白書2010」に、こういう数値があった。
そこに、「2050年ビジョン」というものがある。こういう数値が書かれている。2050年のエネルギー源別の電力量の割合が。
ガス20%、石炭5%、石油0%、原子力8%、水力(揚水)1%、そして、自然エネルギー67%、と。自然エネルギーの内訳は、太陽光18%、水力14%、バイオマス14%、風力10%、地熱10%、と。
何と、石油は0%だ。まあ、そのころには、石油は、枯渇するのかもしれないが。原子力も8%。大幅減だ。リスキーな原発、できるだけ使わないようにしないと、と考えているのだろう。太陽光以下の自然エネルギー比率を67%とは、今の火力発電と同様な比率にしよう、ということだ。
ビジョンはいいが、可能なのか、と思った。
ところが、you tubeにこういう映像があった。3〜4年前の映像だ。学者らしいが、誰だか判らない。こういうことを言っている。
世界は、ドイツはじめナレッジ・トランスファーが速い。日本は、鎖国状態だ、と言っている。ナレッジ・トランスファー、知識の流れ、ということだろう。アメリカや中国は、知識の流れについていったが、日本は世界の知識の流れについていけなかった、と言っている。霞が関、永田町と、電力会社の癒着によって、と。
だから、再生可能な自然エネルギーが伸びないのだ、とこの人は言っている。
そうか、日本は、世界の知識の流れについていけなかったのか。企業と、官僚と、政治家のしがらみで。しかし、そう言われると、そうかもしれないが、やはり、何だかシャクだな。頭が、ないみたいで。まあ、そうには違いなかろうが。
霞が関の人たちのことは、よくは解からないが、永田町の人たちのことは、よく解かる。今日のバカ騒ぎのことを見ていても。
今日、近場の学校へ行った。授業が終わった後、図書館へ行った。小さな学校だが、大学図書館、『世界』なども置いてある。『世界』など、普段は読まないが、最新の6月号を読んだ。
原発災害特集。孫正義が、「東日本にソーラーベルト地帯を 太陽の港、風の港で日本は甦る」、ということを書いている。『世界』と、孫正義の取り合わせも面白いが、テンションの高い孫正義、冷静な文を書いている。
孫も、原発がなければ、日本は成りたっていくのか、と考えていた、という。原発は、本当に安く、自然エネルギーは、高くつくのか、と。しかし、原発の本当のコストは、地域対策交付金や、核廃棄物処理コスト、事故補償コストなどを加えると、安くはないんじゃないか、と思った、と記す。
さらに、アメリカでは、2010年に太陽光と原子力の発電コストがクロスした、と書き、自然エネルギーを買いあげる方式を述べている。この太陽光発電の買いあげ方式、ドイツで実施されているものだ。アーヘン方式と言われるもの。日本でも、地方自治体で、小規模に行なわれている。
孫は、行政の負担じゃなく、そのコスト、民間で持てばいい、と言っている。一時的に電気代はあがる。孫の試算では、1世帯あたり1と月、500円程度電気代が高くなる、と言う。しかし、それは安全代だ、国民みんなで腹を括って負担しようじゃないか、と言う。
そうすれば、21世紀の日本、ただ沈み行くのではなく、もう一度日は昇る、と書いている。なるほど、これもひとつの見識だ。
『世界』の特集には、河野太郎へのインタビュー記事もあった。「エネルギー政策は、転換するしかない」、という。
河野太郎、今までの日本の原子力政策には合理性がない、と話す。利権の問題などにも触れ。その反省の上に立ち、再生可能な自然エネルギーの比率を高め、2050年、すべての原発が廃炉になる時までに、100%にする。そのぐらいの政策目標を掲げなきゃ、と言っている。
原発容認派であった私も、河野太郎の言うこと、いいじゃない、と思えてくる。
今夜、永田町では、あちこちでガタガタやっているらしいが、菅のあとの日本の総理、河野太郎にしてもいいのじゃないか。
政治力学など吹き飛ばし。