それがどうした。

たまに乗る小さな私鉄がある。その電車の乗換え駅のホームから、小さなビルの壁面が見える。年の半分以上、その壁には枯れたようなツタが張りついている。
以前から、面白いな、と思っていた。何か、町中に大きなキャンバスを立てかけたように見えるんだ。
まだ寒いころ、1月の末に写真を撮った。これである。

3階建てくらいの小さなビル。窓らしきものは、下の方に小さなものがひとつあるのみ。コンクリートの壁にツタが張りついている。手前は、駐車場。

壁の一角を切り取ると、このようなもの。壁に張りついたツタ、干乾びて、生きてんだか死んでんだか、解からない。

さらにその一片を切り取ると、何やら毛細血管のよう。やはり、血の流れはあるようだ。

3月中旬、その駅に降りた時、少し斜めから撮った。壁に張りついたツタの様子は、変わらない。
ただ、この建物、後ろ側には窓がある。やはり、3階建てのようだ。奥行きはあるが、間口の狭い建物だ。どう使われているのかは、知らないが。

4月中旬、また撮った。この時は、夜だった。壁に張りついたツタの状態、やはり、変化はない。
壁面の下の方の小さな窓には、明かりが点いているように見えた。

10日ほど前、またその駅に降りた。ホームから見える小さなビルの壁面、緑色のツタに覆われていた。
何カ月もの間、枯れたように、ただ壁に張りついていたツタ、生きていた。ひと月見ぬうちに、様変わりしていた。
周りの少し背の高いビルの中に、緑で彩られたキャンバスを立てかけたように見える。

よく見ると、緑の葉っぱばかりでなく、茶色いツタの痕跡もある。
「そんなこと当たり前。それがどうした」、という声が聞こえてきそうである。しかし、茶色が緑にアレマッ、と変化するホームから見えるツタのキャンバス、面白いじゃない。私には、面白い。「これでいいのだ」、なのだ。
今日、その後の様子を見に行こうか、と思った。でも、まだ10日しか経っていない。ツタの様、さほど変わってはいないだろうし、それを確認するためにワザワザ電車に乗って行くのもなあ、と思い、今日はヤメタ。
いかに、世捨人とはいえ、まだ、幾ばくかの世俗的判断力は残っているらしい。