雨の新宿、後藤の色。

真樹会展を観るため、昼すぎ新宿へ。昨日までと打って変わり寒い。そのうち、雨もポツリポツリ。
古い仲間の後藤亮子がこの会の会員で、この時期、もう何年も野郎ばかり5人で観に行っている。後藤には、夕刻参上、との連絡がいっているため、それまでの時間、新宿御苑でメタセコイアとハンカチの木を見ることにする。
しかし、何たること、新宿御苑、閉まっていた。月曜日、休みだった。で、少し早いが、展覧会場へ。

今回の後藤亮子、5点出品していた。タイトルは、「アルⅠ」から「アルⅤ」まで。いずれもF10の油彩。

「アルⅠ」。マツダ賞を取っていた。
マツダ、ホルベイン、クサカベ、各絵の具メーカー、それぞれの賞を出している。
後藤亮子の作品、半年ほど前にも紹介したことがある。銀座の画廊での2人展の折り。たしかその時、これからの後藤亮子は、より強くマチエールを追求するのじゃないか、と書いたような憶えがある。
しかし、半年後の今日観た後藤の作品、マチエールよりは色だった。この作品など、まさにそう。意識か無意識かは知らないが、重ね合わせた同系色、自らそれを主張している。

「アルⅣ」。
後藤亮子、面白いことを言っていた。「これらは、10年ぐらい前のキャンバスをそのまま使ったの」、と。10年前に描いた作品の上に描いたのだ、と。「下塗りをしないでか?」、と聞くと、「そう、以前描いた上に、それを生かして描いたの」、という答え。
ということは、やはり、マチエールを追求していることになるのではないか。この半具象を思わせる作品など、そう言われれば、そう思える。
他の作品とはやや異なる趣きの描線で囲まれた色調、密やかなマチエールの揺らぎを感じさせる。

「アルⅤ」。
ところで、タイトルの「アル」って何なんだ。私も含め、野郎ども5人、皆聞いていた。「有る無しの有るか?」、と。
「それもあるかもしれないし、ローマ字のアールかもしれないし、アルはアルなのよ」、と後藤は言う。
そう言えば、後藤も亮子でイニシャルは、アール。まったくの偶然だが、私も含め野郎どもの3人のイニシャルもアール。「オレは、この何番目のアールにするよ」、なんて絵とは関係のない戯言を言いあった。

それにしても、「アル」とは、何だ。
「有る」じゃない。単純に過ぎる。「在る」は、あり得る。「生る」は、あり得るが、やや趣きを異にする。「或る」ではなかろう。「R(アール)」か、いや違う。イー、アール、サン、スー、中国語では、アールは2だが、後藤は、中国というよりは欧風志向。これも違う。では、「荒る」か。これははっきりと違う。
つい今しがた、やっと解かった。「アル」は、「離る」、「散る」の「アル」ではないか、と。後藤亮子、1年近く前、夫君を亡くした。「アルはアルなのよ」、なんて言いながら、亡くしたご亭主のことをタイトルに込めていたのでは、と。
いや、そうでもないか。それでは、あまりにも、だ。やはり、単純に、「アル」は「在る」が、王道だろうな。
しかし、いかに酔って帰ってきて、また飲みながらブログを書いているとはいえ、絵とは関係のない、つまらないことを書きだしてしまった。気をつけなきゃ。

そうだ。後藤の絵を観た後、皆で飲みに行った。
歌舞伎町のとっかかりの居酒屋へ。仲間内では、今、最も飲んでいるだろうHが、この店は、どこそこの蔵元がやっている店だが、料理は旨くない。だが、安い、という店に。
時間は、3時過ぎ。「やってますか?」、と聞くと、「3時半からですが、開けます」、とのこと。もちろん、暫くの間は、誰も入ってこなかった。この時間だもの。結局、4時間近くいた。帰る時には、満席になっていた。新宿だ。外へ出ると、雨足強くなっている。雨の新宿だ。
Hは、料理は旨くない、と言っていたが、そんなことはなかった。だが安い、と言っていたことは、その通りだった。驚くほど安かった。これも、絵とは関係のないことか。いよいよ酔ってきたな。

作家に対し、誰々に似ているとか、誰々の絵のようだ、と言うことは、禁句である。すべての絵描き、これは自分のオリジナルだ、と思っている。当然のことだ。
実は、以前から、私は、後藤の作品を観る度にポリアコフの絵を思い出す。実際の作品は、見たことがない。50年以上前、『芸術新潮』か何かで彼の作品の写真を見たのみ。清澄な色調の抽象画。しかし、その後、ポリアコフの名も作品も目にすることはなかった。忘れられた作家だと思っていた。
居酒屋で、後藤亮子にポリアコフのことを話した。後藤は、ポリアコフのことを知らない、という。絵描きについては一番知っているだろうSに、ポリアコフを知っているか、と聞くと、Sも聞いたことがあるような気もするが、知らない、という。私も、50年以上、ポリアコフの名を聞いたことがない。
そのころのフランスの絵描き、フォートリエやデュビュッフェは、巨匠として名を残した。しかし、スーラージュやアルトゥングなどと同じく、ポリアコフも忘れ去られた作家なのだな、と思いこんでいた。
帰宅後、念のため、ポリアコフの名を検索してみた。と、何と、パリで日本人向けに出されているフリーペーパー『OVNI』の最近のものに、ポリアコフのことが出ている。そこから派生し、次々と出てくる。ポリアコフ、忘れられた絵描きじゃなかった。
セルジュ・ポリアコフ、1900年、モスクワ生まれ。ロシア革命で西側へ逃れる。フランスへ帰化、1969年死ぬ。
50年ぶりで見たポリアコフの絵、ああ、こうだったな、と思ったが、後藤亮子の今の色調とは、異なるものだった。
後藤の描く色調、より深い。
今まで後藤には、ポリアコフに似ている、とは言わなかったが、ポリアコフを思い出す、と言ったことはある。思いこみとは、罪なものだ。後藤には、謝らなくてはならない。後藤は後藤だ。独自世界だ。

思いこみついでに、ひとつ訂正をする。
昨日、私は、国会議員当時の石原慎太郎について、”たしか、生長の家のバックアップも受けていたはずである”、と記した。これは、間違いである。生長の家ではなく、正しくは、霊友会である。このこと、今日、仲間のIからも指摘された。
実は、今朝、私も気づき、その一節削除しようか、と考えた。しかし、基本的に、打ったものは直さない。推敲もしない。その時の直感のみの文章である。つまり、私のこのブログ、一期一会、その時に思い浮かんだことをキーに打ちこんでいる。酔いにまかせ、思ったままを打ちこんでいる。碌にファクトチェック、事実確認もしない。さしたるものではないんだから、と思って。
だが、気がついたことだけは、訂正が必要。昨日のことも、そのひとつ。
今日のブログ、余計なことばかり多くて、後藤さん、ゴメンナサイ、ね。