これでいいのだ!!

本人が、オレは天才じゃないか、と思っている岡本太郎のような男もいるが、肝心のご本人が、オレはバカだ、バカになりたい、と思っているのに、周りが、あの人は天才だ、と言っている男もいる。
ご存じ、赤塚不二夫のことだ。

少し前、「手塚治虫のブッダ展」に触れた折り、マンガはほとんど読まなかったと書いたが、それは、若いころの話、また、ストーリー漫画の話。長じてからは、幾らかは読むようになった。赤塚不二夫のものなどは。
ギャグマンガの神、天才、と呼ばれた。寄ってたかって作り上げたものであることは事実であるが、寄ろうと、たかろうと、成したものは、赤塚のもの。その核となる存在は、やはり、天才。

昭和42年(1967年)、神田一ツ橋、小学館の入社式。
緊張の面持ちで居並ぶ新入社員の前に、いきなりこの男が現れ、「シェー!」。この場面から、映画・赤塚不二夫は始まる。
小学館や講談社に入るのは、難しい。まあ、そこそこできが良くないと、採ってくれない。紫色の服を着たこの男・赤塚不二夫、新入社員に対し、「もっとバカになるのだ」、と言うんだ。
これは、事実ではない。東大に入りながら、創業者である父親の死により学校をやめ、若くして社長を引き継いだ先代の社長・相賀徹夫が、そんなことを許すワケがない。
しかし、そうは言っても小学館、入社式で「シェー!」をやってもおかしくない、と思えてもくる。

小学館の『少年サンデー』と講談社の『少年マガジン』、1959年3月の同日に創刊された。その後、600万部を超える驚異的な実売部数を記録した集英社の『少年ジャンプ』に抜かれるが、サンデーとマガジン、仲良くもあり、丁々発止ともやっていた。
多くの漫画家が、腕を競った。漫画家というより、それぞれのプロダクションが。漫画の世界、集団で創る世界であるから。”バカが・・・・・”のフジオ・プロは、グングン伸びた。

「都の西北 早稲田〜の隣り〜・・・・・バカだ〜バカだ〜バカだ〜バカだ〜」のフジオ・プロ、次々にヒットを飛ばす。集団作業で。でも、その核になっていた赤塚不二夫は、やはり、天才。
「人生なんて タリラリラーン!! これでいいのだ!!」。
オカマクラブの「狸御殿」も出てくる。たしか、「黒鳥の湖」なんて店もあった。グロテスクではあったが、夜の新宿、そういう時代であった。バブル崩壊の後も、1990年代半ばごろまで、この勢いは暫く続いていた。
私には、この映画、面白かった。懐かしさを憶えた。

岡本太郎の作品では、あの小さなネコのようなヤツが好きだが、ニャロメは、それを凌ぐ。天才の作。
それにしても、今のマンガ誌の実売部数、どの程度のものなのかな。