桜狩りの道すがら(3) 木蓮。

チェルノブイリでの事故から、今日で25年。ウクライナでの追悼式には、メドベージェフも出ていた。福島にも、25年は来る。
今日は、木蓮。
桜木のように、公園や並木道に植わっている木ではない。あちこちで見かけるが、ほとんどは他人さまの庭の中。撮り難い。
この木も、低い塀の向こうにあった。民家の壁ギリギリに枝を延ばしていた。

20日ほど前の夕刻、紫紅色の大ぶりな花が、風に揺れていた。


尖った蕾もある。
花の形もさまざま。規格化されたものでなく、それぞれが個性を競っているように見える。

外側が紫紅色、内側が白いやや縮れた6枚の花弁、10センチ近い。
花自体開ききらず、また、各弁が同じように伸びていないところも、かえって面白い。

何片かの花弁に傷みが顕れているのも、趣きがある。

中には、このような端正なものもあるが。
捻じれたり、ひん曲がったり、向う傷の絶えない悪ガキ兄弟の中に、一人だけ美人で、しかも、気立てのいい女の子がいるようなもの。人の世にも、ままあるな。
近い仲間ではあるが、辛夷は日本原産、木蓮の原産国は中国だそうだ。木蓮、中国では、木蘭と言われているらしい。そう言われれば、蘭に通じる趣きもある。

夕刻の陽を浴び、民家の壁に、それぞれの影を映していた。このグレー、高松次郎を思わせる。なかなか味わい深い一幅だ。
     戒名は真砂女でよろし紫木蓮     鈴木真砂女
木蓮の句は、これに限る。こう言われれば、これに勝るもの、おそらく、ないだろう。個性的な木蓮の花、波乱万丈の生涯を生きた鈴木真砂女に、まさに、ピタリ。