夢見の桜。

あまり見ないのだが、夢を見た。見てもほとんど憶えていないのだが、ボンヤリと憶えている。昨夜というより今朝、明け方に見た夢。

桜の樹があった。満開であったような気がする。多くの桜木があったような気もするが、大きな桜木が一本だけであったような気もする。
砂漠のようなところもあり、岩がゴロゴロしているようなところもあった。町中ではないし、山の中でもないし、野っ原でもない。何もない砂漠のようなところと、岩はあるが岩山ではないようなところだった。行ったことはないが、こういうところ知ってるな、というところだった。アメリカの西南部の砂漠地帯のようだ。ユタとか、ネヴァダとか、アリゾナとか、ニューメキシコといったところの砂礫地帯のようだった。
しかし、そんなところに、どうして桜木があるのか。ただでさえ、通常の植物は生きてはいけない乾燥地帯なのに。なぜ、そんなところに桜がある。今は不思議に思うが、夢の中では、たしかに桜があった。しかも、満開の桜木が。強い太陽が照りつける砂礫の中に。
3泊4日、という言葉、また、ネイティブ・アメリカン、インディアンのホーリープレイスを巡る旅、という言葉も思い出すが、共に夢の中でそういう言葉があったのか、目覚めた後でそう思ったのか、判然としない。
はっきり(でもないが)と、かろうじてボンヤリと憶えているのは、アメリカの西南部の砂漠のようなところや、岩がゴロゴロしているところに、満開の桜木が立っている、ということだけ。

”無意識の願望が心理学的に変装する”、とフロイトがいう夢とは、はるかに距離を隔てた夢だろう。
近場の桜ばかりであるが、このひと月ばかりのほぼ毎日、フラフラと桜木を見歩いていた。夢見の桜、そういう日常の残留物が、今朝の夢に顕れたのであろう。