シュールというより懐かしさ。


10日ほど前に観た「シュルレアリスム展」、面白かった。
”シュルレアリスム”、その言葉が持つ響きや意味合い、どこか懐かしいものになった。”シュル”といい”シュール”といい、今や古典となった。アヴァンギャルドじゃなくなった。面白いが、正直に言えば、懐かしさが先に立つ。だから、面白かった。

アンドレ・ブルトンが、「シュルレアリスム宣言」を書きあげたのは1924年。ブルトン、28歳の時である。
アートの世界では、1909年のマリネッティによる「未来派創立宣言」、1918年のトリスタン・ツァラによる「ダダ宣言」と並ぶアヴァンギャルド三大宣言だ。
個人的な思いとしては、あとひとつ。1960年の吉村益信、篠原有司男、荒川修作、赤瀬川原平らネオ・ダダ・オルガナイザーズによる「ネオ・ダダ宣言」を挙げたいが、これは、あまりにも極私的に過ぎるか。
それはともかく、アンドレ・ブルトン、「シュルレアリスム宣言」でこう謳う。
<きっぱりいいきろう。不可思議はつねに美しい。どのような不可思議も美しい。それどころか不可思議のほかに美しいものはない>、と。
既に、アラゴンやエリュアールなどの才人を従えていたブルトンの言葉、自信にあふれている。しかし、「不可思議のほかに美しいものなし」なんて、若さがなければ吐けない言葉だ。
時は流れ、90年近く経った今、その不可思議が不可思議でなくなったこと、ブルトンは考えていたろうか。不可思議な美は、古典となり、懐かしい郷愁を覚えさせる作品となった。

今回の作品、パリのポンピドゥセンターから持ってきたもの。ポンピドゥには、シュルレアリスムの作品ばかりじゃなく、それ以前、大体20世紀初めから、それ以後、現代の作品までがある。しかし、シュールの作品ばかりを取り出したものを観ると、やはり、ある種の感慨がある。時代を振り返る、といった。

若きブルトンが吐くこういう言葉、いいじゃないか。想像力にあふれ、個性をぶつけ合う力を持つ、若い時にしか吐けない言葉だ。
デ・キリコも、エルンストも、ダリも、マグリットも、タンギーも、皆そうだったのだろう。

ブルトン、こうも言っている。
今の若い連中も言っているであろう月並みな言葉であるが、やはり、そう。若いヤツの精神は、自由でなきゃ。既成のものに歯向かっていかなきゃ。それが、いずれは古くなり、次代の若者の標的になろうとも。そうして、時は移っていく。何やら、ジジイ臭くなってきたな。
そう言えば、アンドレ・ブルトンのアトリエの映像も流されていた。ブルトンの死後、1994年にファブリス・マズが撮影した。タイトルは、「野生状態の眼」。これは面白かった。
ブルトンの書斎、さほど広くはないが、その四面の壁といわずどこといわず、さまざまなものが掛かっている。仲間たちの作品もある。さまざまな仮面もある。アフリカの原始彫刻もある。チベット仏教の仏たちまである。面白い。今、このブルトンの書斎の壁は、ポンピドゥに収蔵されている。

ところで、今年初めの「芸術新潮」に、赤瀬川原平と南伸坊の「超現実主義的こんにゃく問答」、という対談記事がある。その冒頭、こう始まる。
赤瀬川 ぼくの若い頃は「シュールリアリスム」と呼んでいた。それがその後、専門化して「シュールレアリスム」になったんですね。
伸坊 いまは「シュルレアリスム」って言いますね。
赤瀬川 「シュール」とは言わないの?
伸坊 フランス語で「シュル」。・・・・・ぼくの体験としては、1969年に美学校に入ったら、巌谷國士先生の講義が「シュルレアリスムと絵画」って題で、ははあこっちが専門的なんだ・・・・・って。
というもの。
”シュール”と”シュル”、私も、シュール世代。だから、今日の文章、シュールとシュルを打ち分けた。どうでもいいことだが。
それよりも、今回の展覧会、47人の作品が展示されている。写真や映画も含め。
その中で、一番興味を惹かれたのは、「甘美な死骸」。
「「甘美な死骸」とは、作品のタイトルではない。手法のことだ。元々は、ブルトンたちがしていた言葉遊びだ。何人かで言葉を書き、それを繋げる、といういわば遊び。
ある時、<甘美な・死骸が・新しい・葡萄酒を・飲むだろう>、ということがあったので、その手法自体がこう名付けられたそうだ。それが、絵にも応用された。共作だ。
紙を折りたたみ、そこに何人かの人が描く。他の人が何を描いたのかは、紙を開くまで解からない。タンギーと、マン・レイと、モリーズと、ブルトンの「甘美な死骸」もあれば、ミロと、モリーズと、マン・レイと、タンギーの「甘美な死骸」もある。これが、思いの外面白かった。
”シュール”であれ”シュル”であれ、懐かしい、という思いが強かった。