ヒアアフター。

死を思う三者三様の物語が、並行して進んでいく。
東南アジアのリゾートで、恋人と休暇を楽しんでいたフランスの女性テレビキャスターは、大津波に遭遇し、死の淵を彷徨う。薬物中毒の母親を共に庇ってきたイギリスの少年は、突然の事故で、双子の兄を失う。霊能力者として、死者との触媒を生業としていたアメリカの男は、その行いに疑問を感じ、工場労働者となっているが、自らが持つ霊能から逃れられない。

人種問題であれ、格差の問題であれ、戦争であれ、何でもござれのクリント・イーストウッド、どのようなテーマでも楽しませ、考えさせてくれるが、今度は、”彼岸”、”死後の世界”を取りあげた。

九死に一生を得、パリへ戻った女性テレビキャスター、大津波に飲みこまれた臨死体験の思いに苛まれる。キャスターも下ろされ、恋人も失う。死後の世界に取りつかれ、版元とぶつかりながらも書籍を上梓する。
帽子が飛ばされた、というホンの少しの偶然で、最愛の双子の兄を失ったロンドンの少年は、死んだ兄に会うべく霊能者を訪ね歩く。しかし、満足のいく答えは得られない。最後に、アメリカの霊能者の古いHPに辿りつく。彼なら、死んだ兄に会わせてくれる、と考える。
霊能力者としての生き方に疑問を持ち、今では工場で働いているサンフランシスコの男、普通の生き方をしたい、と料理教室にも通っている。そこで知りあった若い娘に恋心を抱くが、彼女に頼まれイヤイヤ行った死者との霊能が原因で、彼女は去っていく。すべてに嫌気がさしたディケンズ好きなその男、イギリスへ旅立つ。
何の関係もない3人の男女である。しかし、死に取りつかれ、死者を思い、死後の世界を考えることから逃れられない。
いずれも死に触れた。

何の脈絡もない三者三様の物語、ロンドンで収斂する。
ロンドンのブックフェアの会場で、イギリスの少年は、アメリカの元霊能力者の男を見つける。少年の頼みに応じ、元霊能者の男は、こう語る。死んだ双子の兄は、強く生きよ、と言っている、と。
そのアメリカの元霊能者の男は、会場で自著にサインをするフランスの元テレビキャスターの女と行き会う。最終盤、二人のこれからが暗示される。私には、やや唐突な感じを受けた。
”死を思え”、じゃないんだ。”前を向け”、なんだ。
”彼岸”より、”此岸”。クリント・イーストウッドのというより、西側世界の精神世界なのかもしれない。今を生きろ、というものだろう。

この映画、私は、3月10日に近所のシネコンで観た。
冒頭の大津波の場面、凄く迫力のあるものだった。この映画の主題とは合わないのじゃないか、と思われるほどの凄まじい画面であった。ただ圧倒される画面であった。
しかし、その翌日、3月11日、それが現実となった。南三陸町で、宮古で、釜石で。思いもしなかったことが起こった。
その3日後、配給元のワーナーブラザースは、日本での上映を打ち切った。