乃木坂の桜。

昨日までと打って変わり、曇天。風も強い。
古くからの友人と待ち合わせ、乃木坂の国立新美術館へ。その後どこかの花見へ、ということだったが、寒くもなってきたので、周りの桜木を見て今年の花見とする。

新美術館(右)の近場の桜木。満開だ。

すぐ隣りの政策研究大学院大学の前の10本ばかりの桜木も、満開。

低く垂れこめた雲に隠れた夕刻の太陽、雲のベールを通し、黄色く空を染めている。
なお、右は新美術館本館、左は別館。

それにしても、乃木坂の桜、満開だ。私の住む千葉よりは、1日、2日早い感じ。
おそらく、今日あたりがピークだろう。その故か、落花はほとんどない。強い風にもかかわらず、その花びら、しっかりしがみついている。

これでよし、と六本木の居酒屋へと歩く。途中、小さな桜木が何本かある。
安い居酒屋へ入る。福島の酒はなかった。
古い仲間内の花見、去年は14、5人で宴会をした。今年はジイさん4人のみ。話題は、あの日のことと原発のこと、そして、都民は2人しかいないが、都知事選を少し。
あの日、Iは、犬の散歩をしていてビックリし、側の木にしがみついた、と言っていた。私は、遅い昼飯を食べようか、としている時だった。Sは、太陽光パネルを取りつけており、東電に売っているそうだ。Hは、テレビのアンテナみたいなもので電気をつくることを考えねばならないんじゃないか、と牧歌的なことを言っていた。いずれ、そういうことができるかもしれないが、時間がかかる。
SとHは都民だが、都知事選だれに入れるか決めてない、という。おいおい、今回は慎太郎に入れなきゃダメじゃないか、と選挙権のない私が言うも、さて彼ら、どうするか。
帰宅後、今日のニュース、ザッと見てみた。大震災で影の薄くなった都知事選だが、原発問題も争点になっている、という。
東国原やワタミの元社長、共産党の小池は、原発見直しを言っているらしい。クリーンな自然エネルギーで、と。問題は解決しなければならないが、としながらも原発容認を唱えるのは、石原慎太郎のみ。
石原慎太郎、初期の瑞々しい短編以外、その後の作品も、また、その言動も好きではない。しかし、留保つきの原発容認論、卓見である。立派である。政治家の言葉である。東国原以下、何も解かっていない。単なるポピュリズム。政治家になってはいけない人である。あまりにも、現実を知らない。
10数年前、中国の奥地、新疆ウイグル自治区の礫漠地帯をバスで走ったことがある。風力発電の大きな柱が、行けども行けども立ち並んでいる一帯があった。どのくらいの数であったか、解からない。半端な数じゃない。おそらく、数千という数だったかもしれない。
国土の広い中国、おそらく、あちこちにこのような風力発電の大きな柱を立てているに違いない。しかし、悲しいかな、自然エネルギーから産み出される電力、しれたものだ。需要を満たすには、ほど遠い。
この一事をもってしても、今、政治家として、石原慎太郎がまともであり、東国原以下がくだらなく、単に都知事になりたいだけか、見極めがつく。都民でない私が言っても、詮無いことではあるが。
六本木の居酒屋で飲み、酔って帰ってきて、東国原以下のポピュリズムも甚だし、というニュースを見たので、また、焼酎のお湯割りを飲みだし、余計なことを打ってしまった。
それはそうと、

六本木近くの居酒屋で飲み、地下鉄の駅の方へ歩いてくると、前方の六本木交差点のあたり、やはり、常より暗い感じ。

それでも、交差点に近づくと、光の帯流れていた。