電気の明かり。

計画停電といっても、電気が消えない日の方が多い。私の地域では、昨日も今日も見送りになった。節電に努めていることが、大きいのであろう。
それでも、みんながその気になっているのだから、計画通り毎日やればいいんじゃないか、と思っていた。もちろん、電気が停まれば困る工場や商店、その他の事業者のことは解かっている。経済が、より停滞することは自明の理。しかし、この事態、それらは少し横に置いといて、というやや無責任な話で。
ところが、電気は、貯めておくことができないそうだ。今まで、そんなことも知らなかった。需給のバランス、常にとらなくてはいけないなんて、今回、初めて知った。
人工衛星から撮った地球の夜景、多くの人が見ているだろう。明るいところと、暗いところのある写真。
特に明るいのは、アメリカとヨーロッパと日本。朝鮮半島は、南側は明るいが、北側は真っ暗。中国も、沿岸部は明るいが、内陸部は暗い。アフリカ大陸は、地中海沿岸の北部と、南アフリカの都市部は明るいが、他は暗い。南米も、各国の都市部が明るいのみ、といったもの。
日本は、国土が狭いので、列島全体が明るく輝いているように見える。しかし、日本は、山国である。山の中に電気など点いてはいないだろう。東京や、大阪、名古屋、北九州、札幌その他、都市部の明かりが、あまりにも明るすぎるので、小さな日本列島全体が明るく見える。
そう言えば、地震が起こった日の夜、”帰宅の足が・・・・・”、なんて言葉と共に流れたテレビの映像の東京の夜、電気が煌々と点いていた。このブログにも、NHKが流したその日の新宿の様子を引いているが、あちこち明るすぎるぐらいに電気が点いている。こんな光景、当たり前だと思ってたんだ、私たちは。今まで。
以前、インドやネパールに、時折り行っていたことがある。電気の明かりなどない場に行きあったこと、何度もある。人跡稀なところでもなければ、山の中でもない。人が住んでいる町中である。日本の日常の明かりに慣れている私は、正直言って、恐かった。
20数年前のオールドデリー駅(ニューデリー駅が東京駅なら、上野駅に相当する)から2〜300メートルのところには、電灯はなかった。暗い闇の中に、路上生活者が、物を煮炊きする炎があちこちにある。明かりは、それのみ。薄ぼんやりとした闇の中、路上に寝ている人を踏まないように、とそれのみを考えて歩いたこともある。
それでも日本に戻れば、そんなことは忘れてしまう。道には、明かりが点いているのが当たり前だと。それが過剰なものだ、ということにも思いいたらなくなる。電気の明かりのありがたみを、忘れてしまう。近年経済成長が著しいインドも、だんだん明るくなってきている。夜も明るいのが当たり前、という人が増えていることだろう。
電気の明かり、大切にしなきゃ、と考える。どこまで骨の髄まで沁みこんでいるかは、解からないが。