ジャパン・ハンドラーズ。

日米外務、防衛両省担当者の協議のため、ワシントンを発つ国務省の次官補・キャンベルは、「個人的に陳謝したい」、と言っていた。明るみに出た国務省日本部長・ケビン・メアの、沖縄および日本を愚弄した発言に関して。
しかし、今日夕刻、日本に着いたキャンベル、発言を変えた。「私個人的なものばかりでなく、政府としても謝罪するつもりである」、と。そうであろう。
沖縄県議会が全会一致で、発言の撤回と謝罪、さらに、ケビン・メアの辞任を求める決議をした。休会中であった那覇市議会が急遽開かれ、やはり全会一致で同様の決議をした。国政の場でも、与野党問わず憤っている。このような情報が機中のキャンベルへ逐一届けられていたのだろう。
それにしても、ケビン・メアの発言、バカにするにも程がある。
”日本の文化は、合意に基づく和の文化”、とか、”日本人は、本音と建前が・・・・・”、ということはいい。当たらずと言えど遠からず。そういう面はある。
しかし、”彼らの言う合意とは、ゆすりで、日本人は合意をゆすりの手段に使う”、とか、”沖縄の人は、日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ”、あげくの果てには、”沖縄の人は、ゴーヤーもよく作ることができない”、その他の暴言、何だこりゃ、怒りを通り越して、笑ってしまう。
このような人が、アメリカ国務省の日本部長、何年も在沖縄総領事を務めていた、という。悲しいね。いや、哀しい。
琉球朝日放送のウェブサイトに、ケビン・メアに電話取材をしている音声が流れていた。ケビン・メア、「事実と違い、不愉快だ。記者会見をしたいが、上司に止められている。・・・・・」、と話している。それが、日本語で受け答えしているんだ。日本語を解する男なんだ。ジャパン・ハンドラーなんだ。それが、余計に哀しい。
ジャパン・ハンドラー、と呼ばれるアメリカの知日派の人たち、多くいる。日本語を解しようと、解しまいと。しかし、これらの知日派、ジャパン・ハンドラーズ、みな日本に対し敬意をはらっていた。
古くは、エドウィン・ライシャワーのような高潔で立派な人がいた。今は、ジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、シーラ・スミス、・・・・・、日本に対し厳しいことも言うが、日本に敬意をはらう人たちがいる。
ビル・クリントンの時には、国防総省のスタッフを務め、ブッシュ・ジュニア政権の時には、国家安全保障会議の上級アジア部長であったマイケル・グリーンなどは、まだ50そこそこの男だが、日本の痛いところをよく指摘している。歯切れのいい日本語を使って。
アメリカ人として、日本に対し厳しいことは言うが、敬意は忘れない。それが、当たり前のジャパン・ハンドラーズだった。ケビン・メアのような男はいなかった。
昨年の暮、ケビン・メアが講演をしたワシントンのアメリカン大学の学生たちは、その後、東京と沖縄への研修旅行へ来たそうだ。彼らが、これからの新しいジャパン・ハンドラーズになっていくのだろう。
反米な面もあるが嫌米でなく、むしろ好米である私には、それが救いである。