王の言葉。

とても印象に残る場面がある。
猛々しく喋っている男のニュース映像を見ながら、10ばかりの女の子が、その父親にこう聞く。「ねえ、何て言ってるの?」、と。父親は、こう答える。「「解からないけど、とても上手いね」、と。
第二次世界大戦の前夜、小さな女の子は、今のイギリス女王・エリザベス2世であり、その父親は、時の国王・ジョージ6世である。ニュース映像の中で、拳を振り上げ獅子吼する男は、ヒトラーだ。時のイギリス首相・チェンバレンは、ドイツによるチェコ、ズデーテンへの侵攻を認め、第二次世界大戦へつながる対独宥和策をとる。
この時代のヨーロッパ、ヒトラーばかりでなく、ムッソリーニ、スターリン、アクの強い独裁者があちこちの国に出てくる。しかし、『英国王のスピーチ』の主人公であるジョージ6世は、彼らとは正反対、内気な性格の男なんだ。


ジョージ6世、そもそも王になどなりたくなかった。しかし、父親のジョージ5世が厳格な人で、子供の頃から、さまざま意に沿わぬことを強いられた。左利きを無理やり矯正させられたり、O脚であったのを、見栄えが悪いと、これまた矯正されたりと。それが元で、吃音症になってしまう。
人前で喋るのが苦手なんだ。しかし、父君のジョージ5世は、厳格な王、それを許さない。ことある毎に、息子であるヨーク公・アルバート王子(後のジョージ6世だ)に演説を命じる。
時の英国、イギリス一国だけではない。ブリティッシュ・コモンウェルズ(英連邦)、カナダ、インド、オーストラリア、アフリカの多くの地域、その他、世界の人口の1/4に君臨する大帝国だ。英国王は、大帝国である英連邦の王でもある時代だ。
そもそもヨーク公・アルバート王子、長男ではない。兄貴がいる。プリンス・オブ・ウェールズ・エドワード皇太子が。
しかし、長男のプリンス・オブ・ウェールズは大変な遊び人。ヨーロッパ随一のプレイボーイである。それも、他人のカミさんに次々と、という困った性癖を持つ。ついには、アメリカ人の離婚歴のあるウォリス・シンプソンにメロメロになる。彼女と結婚する、と言いだす。英国では、皇太子が離婚歴のある女性との結婚は、認められていない。
1936年、ジョージ5世の逝去により、皇太子であるプリンス・オブ・ウェールズが王位を継ぎ、エドワード8世となる。独身の王だ。しかし、エドワード8世、シンプソン夫人との結婚を決意する。世に知られる、王冠をとるか、恋をとるか、という物語だ。王冠をかけた恋の物語だ。
しかし、シンプソン夫人もなかなか魅力あふれる女性である。アメリカ女性であるが、ソ連の外交官やドイツのリッペントロップとも浮き名を流している。英国の王が、魅かれるのもよく解かる。
結局、チェンバレンの前の首相・ボールドウィンが因果を含め、わずか1年でエドワード8世を退位させ、次男であるヨーク公・アルバート王子がジョージ6世となる。
こんなことを書いてると、映画『英国王のスピーチ』には行きつかなくなってしまうな。いつまでも、終わらなくなってしまうし。

この映画『英国王のスピーチ』、ジョージ6世とその吃音を矯正したスピーチ・セラピストのオーストラリア人、ライオネル・ローグとの物語だ。
先日、アカデミー賞をとった。作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、と主なとこを総なめに。
英国王と、資格を持たぬオーストラリア人のセラピストとのドラマである。オーストラリア人のスピーチ・セラピスト、初めは偽名で来ていた患者が英国王と解かった後も、”陛下”と呼ばず、”バーディー”という愛称で呼ぶ。
開戦時、”国民は、王の言葉を求めている”、ということに応え、ウエストミンスター・アベイからのラヂオ演説も立派にこなす。オーストラリア人のセラピスト、ライオネル・ローグの助けを得て。
この映画で、アカデミーの主演男優賞をとったコリン・ファースは、こう言っている。
「一人の人間が、自分の問題と向き合う話だ」、と。

翻って、日本の皇室を考える。
今上天皇の為されていることは、凄まじいものである。私は、何度も書くが、今の天皇のお考え、その行動、歴代天皇の中で、群を抜いている。そうであるからこそ、次代の天皇となられる皇太子の言動には、いささかの疑問を持つ。
今週の週刊新潮(3月10日号)に、「ご家庭だけに目を向けられる”皇太子殿下”へのご諫言」、という記事がある。2月23日に51歳となられた皇太子の記者会見を踏んでの記事である。
皇室ジャーナリストとしては長老であろう松崎俊弥が、こう言ってる。「”お労しや”、と言う他ない」、と。”労しい”、という言葉、こういう時に使うんだ、と改めて思った。「殿下の頭の中は、ご家庭の事情の事で一杯なのか、と思ってしまいます」、と続けている。
誕生日に先立つ2月21日の皇太子の記者会見での発言、よく読むと、中東情勢やタイガーマスクのことにも触れられ、必ずしも雅子さまや愛子さまのことばかりでもないのだが、次代の天皇としての大きさが感じられない。50代の男の言葉としても。
昭和天皇の背中を追い、ご自分の為すべきことを反芻されている今上天皇の背を追ってもらいたい、と思っているのは、私一人であろうか。そんなことはない、と考えるのであるが。
君主制の国、いくらか行った。イギリス初め、オランダ、ベルギー、スペイン、モナコ、モロッコ、タイ、3年前王制が廃止されたネパールにも何度か行った。その中で、最も君主制が受け入れられている国は、日本である、と私は思っている。
日本の天皇、王と同義語であろう。その次代の天皇・皇太子の言葉、もう少し工夫があってもよかろう。より人間味もあり、厳かな感もある言葉が。
こういう思い、不敬にあたるのか。