ヘレスのカンテ。

3時半近く、遅い昼飯を食べようか、とテレビをつけたら、フラメンコが流れてきた。
ギター一本で、年とった男の歌い手が歌っている。カンテ・フラメンコだ。
BS朝日のDEEP Planetという番組、もう半分以上終わっていた。どうもアンダルシアの小さなタブラオでのカンテ・フラメンコのドキュメントらしい。その内、セビリアの近く、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでのものと解かった。
タブラオには、スペインへ行くたび寄っている。しかし、フラメンコの本場は、やはり南、アンダルシア地方だ。中でも、一般には、単にヘレスと呼ばれる、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラが、フラメンコ発祥の地と言われる町。
「オッ、ヘレスか」、と思った。実は、ヘレス、幾つかの想いがある。
40年にはならないが、35年以上前、新宿に小さなタブラオ、フラメンコ酒場があった。店は、せいぜい3〜4坪。目の大きな女性がやっていた。小さな店、もちろん、舞台などない。フラメンコのレコードを流していた。小さな店だが、時には、20人近くがギュー詰めになることもあった。イスもあるが、立ち飲みの人が多かったからだ。
フラメンコファンばかりでなく、ギタリストやダンサーも顔を出していた。そのころ長嶺ヤス子の公私共のパートナーであったホセ・ミゲルも来ていた。小柄だが、削ぎ落したような鋭い輪郭の顔、いかにもフラメンコの踊り手、といったいい男だった。
ある時、スペインから日本へ来ていた男が、私の顔を見て、「ヘレスのギタリストにお前によく似た男がいる」、といった。「こんなモンゴリアンの典型のような顔、どこがスペインのその男に似てるんだ」、と聞くと、「眉から上がよく似ている」、という。何のことはない、「額と長い髪が、似ているにすぎないじゃないか」、と笑った。
「そのヘレスのギタリストの名前は、何ていうんだ」、と聞くと、「ペレ・キントという名だ」、という。ヘレスのペレ・キント、いつか、そいつのギターを聴いてやろう、と思っていた。
10年ちょっと前、アンダルシアを廻る団体旅行に参加した。パンフレットにはセビリアに泊まることになっていたが、宿が取れないとかで、少し南のヘレスという町に泊まる、と聞いた。私は、喜んだ。ヘレスに行ける、と。ヘレスには泊まるだけだが、ペレ・キントのギターを聴いてやろう、と。
夜、ヘレスのホテルに着いた後、ホテルの人に、「ペレ・キントというギタリストが出ているタブラオを知らないか」、と聞いた。「あなた、この町には、数えきれないほどのギター弾きがいるんですぜ。解かりませんよ。ペレ・キントって名も」、とあきれ顔でいう。「そうか。じゃ、ギター弾きが多く出ているタブラオを教えてくれ」、といった。
タクシーを呼び、教えられたタブラオへ行った。そこそこ大きな店だった。入った後、店の人に、「ペレ・キントというギター弾きを知らないか」、と聞いた。と、何と、「知っている」、という。「今日は来ているか」、と聞くと、「いつもはいない。今日も来ていない」、という。だが、私は、満足した。十分だ、と思った。
ペレ・キントのギターは聴けなかったが、ヘレスの町に、そういうギター弾きがいた、ということだけで。額と髪(そのころは、肩までの長い髪は切っていたが)が似ていると、若いころ新宿の小さなタブラオで聞いた話が、当たっているかどうか、は解からなかったが。ビーノ(ビールではありません。ワインです)を飲み、本場・ヘレスのフラメンコを楽しんだ。
歌い手が2〜3人、ギターも2〜3本、踊り手は5〜6人、という舞台だった。
前置きが長くなったが、今日のBS朝日の番組、こういうものだった。
前半も観たかった。もう少し早く気づけばよかったが、仕方ない。

壁に写真が貼られただけの殺風景な舞台、ギター1本に歌い手ひとり。
通常、タブラオでのフラメンコ、トケ(ギター)、カンテ(歌)、それに、バイレ(踊り)で成りたっている。それぞれの人数は、タブラオの規模によってさまざまだ。それが、ここでは、トケがひとりに、カンテがひとり。
ヘレスのフラメンコ愛好家が、時々カンテ(歌)だけの会を開いているそうだ。さすが本場、ツウだな。

フラメンコのカンテ(歌)、歌われる内容は広い。まあ、日本の歌謡曲と、同じといえば同じだ。惚れた腫れたとか、振られたとか、オレは待ってるぜ、といった歌が多いかもしれないところも。演歌の世界、といってもいい。

他愛のないものもある。

フラメンコのカンテ、演歌と違う特徴のひとつは、パルマ、手拍子だ。これは、まったく異なる。
歌い手も手拍子を打つ。踊り手も手拍子を打つ。強く、弱く。感情を込めて。

この人がいっている”深みのある歌”、カンテ・ホンドである。
カンテ・ホンド、日本では、普通、”深い歌”といわれている。演歌でいえば、”怨歌”、といわれるものに、近いといえば近い。単なる惚れた腫れたではない、男と女のドロドロの愛憎であるとか、厳しい日常の労働を嘆くものであるとか、というものだ。振り絞るような声で歌われる。韓国のパンソリに近い。
久しく聴いていないが、35年以上前には、私も好きだった。よく聴いた。

この歌詞の後には、”お前は、いい仕事を持っている。お前は、鈴を作っている”、と歌われた。
フラメンコのカンテ、ロマの人たちの日常を歌ったものが多い。
ロマの人たち、ヒターノとも呼ばれるが、今、公には、ジプシーという言葉は使わない。ロマ乃至はヒターノだ。念のため。
そのロマの人たち、鍛冶屋が多い。だから、鍋や鈴を作っているのだろう。鍬や荷車の車輪も。

最後に、こういう映像が出た。ヘレスの町だろう。

その後、この映像で終わった。
明け方か夕方か、これもヘレスの町なのだろう。
夜、ヘレスの町に着き、タクシーでギター弾きのペレ・キントを探しに行き、朝、団体の皆さんと共に、バスで次の町へ発った私、ヘレスの町中、何も見ていない。
しかし、久しぶりでヘレスの名を聞き、いささか血が騒いだ。